緊迫の7日(12/18)劇症肝炎闘病記
快方に向かっていたピーチーですが、この日の夕方面会に行くと、担当医から”退院”の可能性を告げられました。
正直いって驚きました。4日前には死の淵にあった子です。
別れを覚悟で、ステロイドの大量投与を決断したのは3日前でした。
それが、思ってもみなかった回復――
この時の喜びは、今も忘れません。
そして、犬は強いなあとしみじみと思いました。
しかし、まだ安心はできないぞと、気を引き締め直したことも覚えています。
以下、当時のブログです。
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快方に向かっていたピーチーですが、この日の夕方面会に行くと、担当医から”退院”の可能性を告げられました。
正直いって驚きました。4日前には死の淵にあった子です。
別れを覚悟で、ステロイドの大量投与を決断したのは3日前でした。
それが、思ってもみなかった回復――
この時の喜びは、今も忘れません。
そして、犬は強いなあとしみじみと思いました。
しかし、まだ安心はできないぞと、気を引き締め直したことも覚えています。
以下、当時のブログです。
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小康状態を得たピーチーについて、色々なことを思いました。
前回書いた、自己免疫不全(自己免疫疾患)に関することはその最たるもの。
本来は体を守ってくれるはずのものが、誤動作で幾つもの病気を引き起こしてしまうのですから、その振る舞いの不思議であり、怖さも感じてしまいます。
一方、ピーチーの強運も実感しました。
稀有な偶然が重なりあって、まるでピーチーは ”何者かによって、生かされている” みたいです。
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ピーチーは過去に、膵炎から併発した胆管閉塞で、死の手前から戻ってきました。
その時も、絶体絶命の綱渡りの末の生還。
今回も、その時と同じような、幸運を感じました。
劇症肝炎の始まりの頃、掛かりつけの動物病院の副院長先生がこう言いました。
「この子は、運を持っているから、またなんとかなるかもしれないわね」
それは、動顛している飼い主への、せめてもの慰めに聞こえました。
しかしそれが、現実のものになろうとしていました。
以下、当時のブログです。
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段々と調子が良くなっていくピーチー。
気持ちが落ち着いてくると、今回起きたことを振り返る余裕ができてきました。
この日のブログで触れている、自己免疫不全(自己免疫疾患)と言う言葉を初めて聞いたのは、今回の闘病の少し前のことです。ピーチーが癲癇の発作を起こし、脳腫瘍は強く疑われたときに、担当医から別の可能性として示唆されたものでした。
一つ一つのことを改めて考えると、自己免疫不全は多くのことを引き起こした元凶のように思えます。そしておそらくそれは、ピーチーだけでなく、他の子(犬猫に関わらず)起きているものと思われます。
この時の印象の強さから、自己免疫不全については自分なりに調べて、それに絞って ”自己免疫不全の実例と検証” と言う記事を書きました。
以下、当時のブログです。
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前日の朝、面会したピーチーは、死を免れたように思われました。
しかし、その前があまりにも悪く、危機的な状況であったために、飼い主としてはまだ素直に喜ぶことができませんでした。
いつ病状が急変するか、わからないからです。
この日も面会に行きました。
具合は良くなっているのか? それとも悪くなったか?
期待が半分、怖れが半分。
面会の順番が来て、名前を呼ばれたときのことを、今も覚えています。
以下、当時のブログです。
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前日の面会では、ピーチーの劇症肝炎は、劇的に改善されたように見えました。しかし、まだ安心はできません。なにしろ、一昨日の夜までは、ピーチーは死の縁をさまよっていたのですから。
ブログで応援をしてくれた仲間達に、歓びの声を伝えたいと言う気持ちが半分と、そこに喜んでしまうと、足元をすくわれそうな不安が半分同居していました。
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一晩かけて、起きたことをきちんと頭で整理しました。
少なくとも、危機的な状態は回避している。――それは確かです。
しかし――、やはり心からは喜べない。
喜ぶのが怖いと言うのが、正直な気持ちでした。
以下、当時のブログです。
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前の日の夜、劇症肝炎のピーチーに、ステロイドの大量投与という治療を決断しました。その決断が吉と出るか凶と出るか、誰にも分かりませんでした。筆者と家族とピーチーは賭けにでたのです。
あの時――
押しつぶされそうなだった胸の内を、今でも鮮明に覚えています。
しかし、有り得る選択肢を一つ一つ洗い出して、考えを深めて行くうちに、覚悟が決まっていきました。覚悟を決めたら、もう迷わないと、別の覚悟も決めました。
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医師との面談が終わった時には、病院にはもう人けがありませんでした。
病院にはご迷惑かと思ったのですが、ピーチーとの面会を申し出ました。もしかしたら、それが生きているピーチーを見る最後の機会になるかもしれないと思いました。
処置室に連れて来られたピーチーには、点滴の針が残ったままです。
そんなピーチーを、何度何度も撫でてやりました。
それから、「決めたけど、いいよな」とピーチーに言いました。
●
そして――、長い一夜が明けました。
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DVMs(動物医療センター横浜)から帰り、ピーチーの手術を行うかどうかを考えました。帰りがけに掛かり付けの動物病院の院長先生に出会えたのは、幸運でした。
外科手術に傾いていた心が、それによって、もう一度冷静に考えてみようという気持ちになれました。
愛犬の治療と言うのは、なにも治そうとするばかりが治療ではないという気持ちにもなりました。残された時間が僅かであるのなら、それをどう有意義に使うかという事も、大事な治療ではないかと思いました。
治るのか? 治らないのか? 賭けるのか? 賭けないのか?
幾つもの思いが、頭の中を駆け巡りました。
以下、当時のブログからです。
緊迫の7日(5/18)劇症肝炎闘病記
朝のブログにピーチーの経過を記録し、それから筆者はDVMs(動物医療センター横浜)に向かいました。その日の朝、ピーチーは救命救急のERから総合内科に引き継がれ、正式な担当医がつくことになっていました。
救命措置から治療に移り、専門医がピーチーを診て、そこで初めて正確な診断が下ることになるのです。
以下、当時のブログです。
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愛犬ピーチーの突然の劇症肝炎。前日は慌ただしく過ぎた1日でした。
ピーチーをDVMs(動物医療センター横浜)のER(救命救急)に残して飼い主は帰宅。その日の夜は、心配で仕方がなかったのですが、早めに寝る事にしました。翌日から始まるであろう、より深刻な状況を考えると、体を休めておくことが最善の策と思ったからです。
そして、一夜が開けました。
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ピーチーが入院し、集中治療室に入ったその日の夜――
何も手が付かず、気を紛らわすこともできませんでした。
もしかしたら――
そう思いました。
もう生きている姿には合えないかもしれないと、最悪の事態を想像したのです。
一度考えてしまうと、もう打ち消すことはできません。
筆者はいてもたってもいられず、ピーチーの面会に出掛けました。
側にいても何もできないことは、分かっているのに――
飼い主と言うのは、皆同じではないでしょうか?
以下、当時のブログです。
緊迫の7日(2/18)劇症肝炎闘病記
前話(すべてはここから|突如の劇症肝炎)の続きで、同日(8月16日)の続報です。急に発症した劇症肝炎のため、筆者はその日、2つの病院(救命救急と主治医-かかりつけの動物病院)を行き来することになりました。
愛犬ピーチーの容態が、非常に悪い状態にあることだけは一見しただけで分かり、しかもそれが刻一刻と悪い方向に進んで行きます。
しかし、それ以外の事はまったく見当がつきません。
●
担当医の顔つきからも、深刻な状況である事は明らかです。
肝臓の数値、炎症を示す数値が非常に悪い事から、病名で言うと ”劇症肝炎” であろうことは察せられます。
その時の筆者の頭の中は、不安で満たされているのですが、こういう時に飼い主に出来ることは、ただ一つだけ。
――冷静を保つということだけです。
愛犬の病気は何が起きようと、最後の判断は飼い主に委ねられます。
その判断を間違えないようにしたい。後悔のない判断をしたいという気持ちだけが、筆者の心を支えていました。
緊迫の7日(1/18)劇症肝炎闘病記
これから、愛犬ピーチーの劇症肝炎との闘病について書いていこうと思います。
過去に何度か死線を切り抜けたピーチーですが、この時の闘病は大変なものでした。突然の食欲不振から始まり、転がるように死の淵まで一気に病状が進んだのです。
ピーチーが突然重病を発症したのは2度目。1度目は 急性膵炎からの胆管閉塞 です。
飼い主である筆者は、愛犬の治療の選択肢を増やすことに専念しました。そして最後に、身を切るような選択が待っていました。
この時の闘病は、筆者がブログを書き始めてからの出来事なので、発症から治療経過までの記録が詳細に残っています。日付を追う形で、闘病日記として書いていこうと思っています。
続きを読む闘病の奇跡、強運の正体(4/4)
前3話で書いた、筆者と愛犬に起きた出来事を整理すると、9つの幸運が立て続けにあって、最後に奇跡が舞い降りています。
当時は目の前で起きていることに対処するのに精いっぱいで、周りを俯瞰する余裕が全くありませんでした。しかし今振り返ると、目先のことだけを見てやっていたことが、意外に的を射ていたように思います。
今は愛犬の闘病で得た経験と知識があります。しかしながら、もしもまた同じような状況が発生した場合、もう一度同じような判断ができるかというと、自信がありません。
もしかすると経験と知識があるが故に、間違った判断をしかねないなとも思うのです。あの時の緊迫感は、正常な思考を奪うほど大きなものでした。
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