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君が旅立つまでのこと

悲しさと寂しさは違う - ピーチーのいない3日間【ペットロス】

悲しさと寂しさは別物

見送ってからの3日間(3/3)

ピーチーが去った時、悲しくはありましたが同時に充実感があって、それがバランスを取っていたような感覚でした。

その当日は、悲しみに打ちひしがれる事も無く、淡々と過ぎました。
その翌日もそうでした。

しかし――
この3日目あたりからでしょうか――

寂しさがだんだんと大きくなり、悲しみを上回るほどになっていきました。
ああ、悲しさと寂しさは違うんだ――
そんなことを考えました。

恐らくはそれが、ペットロスというものなのでしょう。
しかし、良く聞くペットロスとは違うようにも思いました。
重症、軽症という区別があるのなら、恐らく軽症なのでしょう。
しかし――
ペットロスは、重い軽いで計れるようなものではないのかもしれません。

(扉の写真と下の写真は、遺影の候補にしていた写真です)

以下、当時のブログです。

4月1日|3日が過ぎて思うこと

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ピーチーがいなくなって、3日が経ちました。

僕にも奥さんにも、悲しいと言う思いはありません。むしろ、やり切ったという達成感の方が大きいように思います。しかし、寂しさはそれとは別で、すこしずつ大きくなっているように感じています。

日常は、ピーチーが病気をする前に戻りつつあります。
忙しさは、救いでもあります。

お花を送って下さると言う申し出がありましたが、全部ご辞退をさせていただきました。ピーチーとの別れは、そんなに大袈裟なものではなく、小さな小さな自然の摂理であるからです。

ピーチーのハウスは、ピーチーが好きだったおもちゃで段々と埋まってきています。
皆さんからいただいたお悔みのコメントやメッセージは、今も毎日読み返しています。つくづくピーチーは良い子だったと思うと共に、飼い主としては鼻高々で誇らしい思いです、

気持ちの整理という意味で、いつかコメントやメッセージにご返事をしたいと思っていますが、まだちょっとできそうにありません。

よその子がうらやましい - 当惑する思い

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それと、これは自分自身でも驚いていると言うか、当惑していることでもあるのですが、皆さんのブログをまだ読みに行けません。
正直な気持ちを言うと、皆さんのブログを読みに行く時が一番つらく、ピーチーの喪失を実感する時です。

外を歩くと、散歩をしている飼主さんと、その愛犬を良く見かけます。
ピーチーがいるときは、「ああ、可愛いなー」と素直に思っていたのですが、今は「羨ましいなー」と考えてしまいます。

皆さんのプログを読むときも、そんな感じなんです。
以前だったら「今日はどうしているかな?」と思って、楽しみにページを開き、
闘病中のワンコだったら、「今日も元気でよかったな」とか、
健康な子なら「今日もオトボケで面白い子だな」と、純粋に楽しんでいたのですが、
今はまず最初に、「羨ましいなー」と考えてしまいます。

こんな気持ちで皆さんのブログを読みたくないなって思うと、自然に足が遠のいてしまう感じ。これはまだ、しばらく尾を引きそうだなと思っています。

さて、これからのことですが、犬との関わりは続けたいと思っています。
ちょうど友人の奥様が、これから保護犬の愛護団体を立ち上げられるという事なので、まずは出来る範囲でそれをお手伝いしたいと思っています。

とりとめもないのですが、こんな感じでやっています。

 

――第5章|別れを告げてから(3/4)――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:今回の表紙は、ピーチーです。

――次話――

ピーチーが去って4か月がたち――
幸いにも大きなペットロスには陥りませんでした。
ピーチーを思い出すと、寂しくはありますが、悲しくはありません。
むしろ、寂しさは楽しめるものであると思います。
闘病も、介護も、看取りも――
全てが良い思い出です。

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――前話――

わが家には、ピーチーがやってきた時のダンボール箱が、大切に取ってありました。
14年前、小さな小さなその箱に入って、うちにやってきたアイパンチの女の子は、ちょっと大きな、立派な桐の箱に入って、うちから出て行きました。
ピーチーらしい去り方でした。

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見送ってからの3日間の初話です
第5章の初話です
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