見送ってからの3日間(1/3)
ここからは、3回に渡って、ピーチーが旅立った後のブログを掲載したいと思います。
ピーチーが去った後の感覚は、よく言われているような喪失感とは、少し違ったように思いました。心にぽかんと穴の空いた感触なのですが、そこには悲壮感はなく、ただ空いた穴を眺めているような感覚。悲しいよりも、寂しいという思いです。
ピーチーはこれまでに、何度も危険な状態(特に大きいのは胆管閉塞と劇症肝炎)に陥り、そこから戻って来ているので、その経験を経て、飼い主側の気持ちも別れに備えて変化していたのでしょう。
もしかしたら、普通の ”悲しい” を、一気に飛び越してしまったのかもしれませんね。
愛犬を亡くした方がよく陥るのが、ペットロス。
「自分にもそのペットロスが訪れるのだろうか?」
そんなことを、まるで人ごとのように思っていました。
以下、当時のブログです。
3月30日 早朝|別れの翌日
ピーチーのいない一夜が明けました。
リビングにあるお棺の中に手を入れると、そこには慣れ親しんだピーチーの肌ざわりがあるのですが、体温だけがありません。
ピーチーにあのように見事な最期を見せつけられると、悲しんでばかりいたらピーチーに申し訳ないと思います。しかしながら、喪失感は大きく、すぐには埋まらないだろうなあとも思います。
●
沢山の方から、暖かいお悔みのコメントやメッセージをいただいていますが、まだご返事ができないままでいます。
ひとつひとつ何度も読ませていただきました。
心にしみます。大変にありがたく、感謝をしています。
でも、なんとなく返事が返せないというのが正直なところです。
もう少し、気持ちを落ち着けてご返事したく思っていますので、しばしのご容赦をいただきたく思います。
●
皆さんのブログを読みに行くことも、まだ出来ないでいます。
こちらも、併せてご容赦ください。
ピーチーの生きた証である、このブログは残すつもりです。
しばらくは、ピーチーを失ってしまった心境を、綴っていくことになるでしょう。
その後のブログをどうするのかは、まだ決めていません。
置き去りにし、放置することはしたくはありませんが、昔を振り返ってメソメソするような内容も、ピーチーが望まないと思います。
●
僕も奥さんも、昨日ピーチーを看取ったあとは、仕事に復帰しました。
今は、普通の生活をしようと心がけています。
今日の午前中には、ピーチーを荼毘にふします。
そこで本当に、ピーチーと最後のお別れです。
ピーチーの亡骸の写真は、撮っていません。
生きようとしたピーチー以外の写真は、残さないと決めたからです。
大好きだった自転車 タルタルーガ
そういえば昨日は、ピーチーと家族の写真を撮った後で、ピーチーが大好きだった自転車とも写真を撮りました。親友の工業デザイナー吉松君のデザインした、タルタルーガという、オレンジ色の自転車です。
リカンベントという、アメリカンバイクのチョッパーのようにふんぞり返って乗るタイプで、急な坂道でも立ち漕ぎしないで、グイグイ登っていきます。
扉の写真と上の写真は、ピーチーが元気溌溂の頃。
散歩の途中で撮影したものです。
●
これがタルタルーガ
(折りたたんだ状態です)
お前はこれが、大好きだったよな
●
ピーチーは、この折りたたみ式の自転車を組み立てようとするだけで、大興奮しました。そしてピーチーは、自転車を犬ぞりのように引っ張って、どこまででも駆けて行きました。
最後に一緒に走ったのはいつだったかな?
具合がよくなって、またピーチーが走れるようになったら、この吉松君の自転車で、風を切って散歩をするつもりでした。
付録|自転車を引っ張るピーチー
――第5章|別れを告げてから(1/4)――
この記事について
作者:高栖匡躬
▶プロフィール
Follow @peachy_love
表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
わが家には、ピーチーがやってきた時のダンボール箱が、大切に取ってありました。
14年前、小さな小さなその箱に入って、うちにやってきたアイパンチの女の子は、ちょっと大きな、立派な桐の箱に入って、うちから出て行きました。
ピーチーらしい去り方でした。
――前話――
看取りを経験して思うのは、“それ”は一瞬のことではないということです。
別れの前から始まっていて、別れた後も続いていくのだと思うのです。
ピーチーが去って4年。
今も当時の気持ちが鮮やかに蘇ります。
看取りはまだ続いているのです。
●