見送ってからの3日間(2/3)
ピーチーは別れの翌日の朝、荼毘にふしました。
当日は、前の日のブログを書いて、それから斎場に向かいました。
気持ちとしては、沈んでいるのではなく、むしろ前向きでした。
ピーチーの死に様は、誇らしいものであったし、飼い主としての心中も「やり切った」という充実感がありました。
ペットロスの実感はありませんでした。
――とは言え、やはりさびしいなあという思い。
(扉の写真は遺影です。一番好きな写真の1枚でした)
以下、当時のブログです。
4月1日 |斎場にて
昨日(3月31日)の朝11時に、うちの奥さんと2人だけで、ピーチーを火葬してきました。今日はそのご報告をしたいと思います。湿っぽいのは嫌いなんで、淡々と描かせていただきます。
僕の故郷は鳥取の田舎で、子供の頃に飼っていた犬は、どの子も庭に埋めたので、ペットの火葬場なんていう場所は初めてです。
●
お棺は桐の立派な箱でした。
特に贅沢をしたわけでなく、主治医に勧められた斎場では、その桐のお棺と、籐のバスケットの2つしか選択肢がなかったからそうなりました。
●
旅立ちの時に何を持たせてやろうかと、色々と斎場に持って行きました。ピーチーが遊んだ木の棒や、いつも付けている、お似合いの訓練用のチョークチェーン。歴代のよそ行きの首輪。買ったばかりのブーツなどです。
しかし、この斎場では環境への配慮という理由で、基本はおやつ以外は持たせることができず、首輪も小さな金属の留め具程度までとの事。
結局、服を着るのが嫌いで、裸族だったピーチーにふさわしく、何も身に着けないで、おやつだけ持って旅立たせることにしました。それもまたピーチーらしいです。
●
亡骸の写真は撮らず、祭壇の写真だけを撮りました。
遺影は満面の笑顔の、見ているこっちが元気になるような写真です。
「ちっちゃな金属だから、これくらいは良いよね?」
奥さんは最後に、お棺の蓋と閉じるとき、キーホルダー式の小さなお守りを3つ、ピーチーの脚元に忍ばせてやりました。
いつも年始の初詣で買っていたお守り2つと、奥さんが出張で九州に行ったときに買ってきたものです。
●
火葬が終わると、斎場で骨上げもしました。
骨になったピーチーは、綺麗に並べられていました。
とても丁寧な仕事です。
ブルテリアらしいカエル足に続いて、その真ん中に尻尾の骨が続いています。
そして予想通り、ピーチーの石頭はかなり良い形で残っていました。
爪の芯のところも残るんですね。あれはただの毛細血管だと思っていました。
●
意外なことに、残った骨はコツコツと硬く、重みもあり、陶器のようです。
もっとボロボロになるかと思っていました。
僕は骨上げというのは、割と好きです。いつかは皆、骨になるという無常感も良いですし、一つ一つそれを骨壺に収める都度、気持ちに区切りがついていきます。
●
うちでは、奥さんと2人でペンダントとキーホルダーを買いました。
ペンダントにはピーチーの尻尾の先の骨と、牙と、爪の芯を入れました。
今、僕の首に掛かっています。
キーホルダーには最後に、ピーチーの毛を少し切って入れました。
これはいつも持ち歩く、家の鍵にぶら下げてあります。
●
ピーチーは14年前に、
この小さな小さなダンボールの箱に入ってうちに来ました。
●
そして14年が過ぎて、
ちょっどだけ大きな、立派な桐の箱に入って
うちから出ていきました。
●
両手に少しだけ余るほどの、
小さなアイパンチの可愛い女の子が、
こんなに立派な一生を送るとは、思ってもみませんでした。
●
よくやったな、ピーチー。
犬って、本当にすごいなー
――第5章|別れを告げてから(2/4)――
この記事について
作者:高栖匡躬
▶プロフィール
Follow @peachy_love
表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
ピーチーが去って3日目――
当日は「やりきった」という充実感がありました。
しかし、段々と寂しさが大きくなってきました。
「ああ、悲しさと寂しさは違うんだ」
元気なよその犬が羨ましくもあり、これがペットロスなのかと、改めて実感したのでした。
――前話――
ピーチーが去った翌日。
喪失感はあるのですが、悲壮感はありません。
ただ心にポカンと穴が開いたような空虚な思いのみ。
「これがペットロス?」
棺の中にはピーチーがいました。
――慣れ親しんだ肌触り。
しかし、体温だけがありませんでした。
●