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君が旅立つまでのこと

看取りは日常の延長にある -それは普段と何も変わらない愛おしい日々

君が旅立つまでのこと_扉

終末期を楽しむという選択(2/4)

愛犬の看取りの時というと、何か特別なことが起きるように考えがちですよね。
まるで、崖から突き落とされて、そこから先の世界が一変してしまうみたいな……

もちろん10何年も一緒にいた愛犬との別れの時なので、それは特別な意味を持つのは確かですが、実際にそれを体験してみると、もっと淡々として柔らかで、優しい時間であったように感じました。

もしかしたら、別れの手前にある終末期と言うのは、日常と同じなのではないかな?

階段を下るように弱っていく愛犬

今回は筆者の愛犬ピーチーを、看取るときのお話です。
ピーチーは肺がんでしたが、その病気と分かる前、割と早いうちから自分の体の異常を感じ取り、不安を感じていたように思います。

ピーチーは何か気になることがあると、家中と見て回るクセがあったのですが、自分の体調の変化を外的なものとでも思ったのでしょう。それまで以上に良く巡回をするようになりました。

もう少し弱ってくるとピーチーは、いつも筆者の側に来て足元で寝るようになりました。触ると嬉しそうな顔をし、笑顔を見せてやると、そこで安心して眠りに落ちました。

もっと弱って来て、よろめいて真っ直ぐに歩けなくなっても、トイレにだけは行こうとしました。一応、念のためにオムツは付けましたが、そのオムツの中にオシッコをすると、「失敗した!」という顔になり、とても申し訳なさそうにするので、筆者もうちの奥さんも、ピーチーがトイレに行きたそうにすると、夜中に何度でも起きて、体を支えてやりながら、トイレマットのある脱衣場に通いました。

きちんとトイレでオシッコができると、オヤツを上げて笑顔で褒めてやりました。するとピーチーは誇らしげで、嬉しそうな顔になりました。

最後の最後ではもう歩けなくなりました。しかしピーチー用の寝床には寝かせず、いつも家族が見えるところに移動させ、そこに毛布を敷きました。

この頃になるともう呼吸が苦しくて、高濃度の酸素を与えるために、酸素テントを使っていたのですが、ビニール越しだとピーチーが寂しそうにするので、手製のベンチュリーマスク(人間の病院で、手術の後などで、良く患者さんがよく使う酸素の吸入マスクです)を作ってやって、酸素のジェネレーターに直結し、そのジェネレーターごと、家族のいる場所にどこでも移動させました。

夜もベンチュリーマスクを付けた状態で、家族の布団で一緒に寝ました。
なぜそうしたかというと、ピーチーはそんな状態にまでなっていてもはっきりと意識があり、自分の意志を示したからです。ピーチーは家族の顔を見ると明らかに安心した顔になり、触ってやると嬉しそうにしました。

ピーチーが旅立つ朝、旅立ちの3時間ほど前の事。ピーチーは安心しきった、とても良い顔をしていました。
幸せそうで、少しも苦しそうでなく、その夜はいつもよりもぐっすりと眠れたようで、自然に目を覚ました時の顔がそれでした。今でもあの顔は忘れられません。

愛犬と一番心が通い合ったのは、終末期でした

前の話(第1章2話)でも書きましたが、犬の最終末期は長くて1週間くらいだそうです。筆者と奥さんは、お互いの仕事を調整し、シフトを組んで、24時間いつも必ず愛犬と一緒にいました。

各家庭に事情があるので、それができるのは幸運なごく僅かな方かもしれません。しかし、それができない場合でも、出来るだけ長く一緒にいてあげると良いと思います。
終末期というのは、飼い主と愛犬の心が通い合うとても貴重な時間だと思います。ピーチーと一緒にいてそれを実感しました。

この後、別の章に書きますが、ピーチーはとても幸せな最期を迎えました。
まるで眠るようでした。

今思えば、臨終の瞬間も、そこに至る最終末期の数日間も、何も特別なものでなく日常のすぐ先に繋がっていました。もしかするとピーチーは、”死ぬ” などと特別なことは考えず、ただいつものように ”眠った” だけなのかもしれません。

愛犬が病気をすると、何も起きない普通の日常が、とても愛おしく思えてきます。
日常の中で愛犬ピーチーを見送れたことは、筆者にとってとても幸せなことだったと感じています。

 

――第2章|犬の死とは(8/10)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:パズ―さん(飼い主:パズ―ママさん)です。

――次話――

愛犬の介護には、とかく暗いイメージがつきまといますね。特に終末期は――
しかし実際に体験すると、そこには喜びも笑いもありました。
最後まで楽しむことはできるし、ぜひそうした方が良いと思います。
だってその瞬間まで、生きているのです。
犬も人も。

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――前話――

愛犬を看取るとき、泣いて見送ってあげたいですか?
それとも笑って見送ってあげたいですか?
筆者は笑って、愛犬を見送りました。
楽しく過ごした一生の最後のご褒美は、やっぱり笑顔だと思ったのです。
ただ、それをするには準備が必要で――

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第2章の初話です
この連載の初話です
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