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君が旅立つまでのこと

胆管閉塞の併発 - 病状急変、危機的な状況へ【闘病記】

胆管閉塞の併発

闘病の奇跡、強運の正体(2/4)

前話|突如の急性膵炎 で4つの幸運を得て、膵炎から回復したピーチー。
ほっとしたのもつかの間でした。

実はその後に、闘病の本番が待ち受けていたのです。
それこそが、ピーチーが命を賭ける事になった病気、胆管閉塞です。
膵炎による内臓の炎症(発熱)が、胆嚢と胆管にダメージを与えていたのです。

しかしここからも、ピーチーの幸運は続きます。

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突如の急性膵炎 - それは胆管閉塞の入り口でした【闘病記】

胆管閉塞闘病記

闘病の奇跡、強運の正体(1/4)

本話から4話連続で、我が家の愛犬ピーチーが生れて初めて罹った重病、急性膵炎と胆管閉塞について書きます。

膵炎は大変痛みを伴う重い病気です。特にはショックにより、死に至る事もあるそうです。しかしながら、膵炎(我が家の場合は急性膵炎)はそれほど珍しいものではなく、飼い主が早く気が付けば治る病気です。ネット上には、膵炎から回復した例が沢山見つかります。

我が家の場合は、膵炎には非常に早くに対処できたものの、そこから数日を置いてピーチーは胆管閉塞を併発し、非常に深刻な状況に陥りました。

この記事は当時の体験をまとめた闘病記です。
以下、過去に書いたブログからの転載となりますので、筆者の呼称は”僕”となっています。

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高度医療という選択肢 - 生き残る道が残されていた

高度医療という選択肢

闘病記が教えてくれること(5/5)

筆者の愛犬ピーチーは、いつでも元気一杯で、10歳を過ぎても疲れを知らず走り回っていました。アレルギー性の皮膚炎が子犬の事からの持病でしたが、それを除けば病気の予感など一切感じさせない子でした。

そのピーチーが生まれて始めた罹った大病が急性膵炎。突然のことでした。
やがてそれは、胆管閉塞を併発し、遂にはピーチーを死の淵に立たせたのでした。

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セカンドオピニオンと二次診療について - どちらも意外に実行されない選択肢

セカンドオピニオンと二次診療

闘病記が教えてくれること(4/5)

我が家の愛犬ピーチーに2度起きた、”奇跡的に命拾いをした” という経験ですが、偶然にもどちらも同じような経緯をたどっています。

どちらも回復は難しい(実際に安楽死を勧められた)と言われる中で、それでも諦めきれずに可能性を探っていった末の出来事でした。

さて、筆者がその2度の ”奇跡” の前に行ったこととは――

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努力は奇跡の確率を上げるもの - 待つ奇跡と勝ち取る奇跡は、確率が違う

努力は奇跡の確率を上げる

闘病記が教えてくれること(3/5)

犬の闘病記を読んでいると、”奇跡的に助かった””奇跡的な回復をみせた” という表現を時々目にすることがあります。

さすがに ”奇跡” というだけあって、いつでも起きる訳ではなく、どこにでも起きるものでもありません。しかしながら、この ”奇跡” という現象は、厳然と存在しています。何故そう言えるのかというと、筆者が愛犬で遭遇したからです。

――しかも、2回も。

これから、その ”奇跡” について書こうと思います。

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闘病記を読む理由とメリット - 医学書や論文よりも現実的な選択肢

闘病記を読む理由とメリット

闘病記が教えてくれること(2/5)

愛犬が闘病の状態になったとき、多くの方が愛犬の病気についての情報を得るために、ネット検索をされたと思います。

求めていた情報には、すぐに行きつくことができましたか?
恐らく 『病名』や 『病名 犬』 だけの検索では、不要な情報が膨大に検索リストに並んで、探し当てられなかったのではないでしょうか?

筆者は早々に諦めてしまいました。

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ケーススタディとしての闘病記 - 闘病記を読むということ

ケーススタディとしての闘病記

闘病記が教えてくれること(1/5)

この章では、筆者の愛犬ピーチーの闘病記を書こうと思います。

とは言うものの、現在愛犬が闘病中でない方や、愛犬がピーチーと違う病気で闘病中の方にとっては、いきなりよその家の犬の闘病記を読めと言われても、戸惑われることでしょう。

闘病記と言うのはその病気が何であれ、読む価値があるものです。
何故ならば、そこには病気の知識だけでなく、闘病や介護に向き合う飼い主さんの姿勢が書かれているからです。

本章では以下のように、”闘病記” を扱っていこうと思います。

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またね、という言葉 - 爽やかに去っていく君を、爽やかに送ろう

君が旅立つまでのこと_扉

終末期を楽しむという選択(4/4)

大切な愛犬との別れの時、一番最後に掛けてあげる言葉は用意していますか?
きっと、考えたくもないという方が多いと思います。しかし、もしかすると愛犬の一生の中で、最も大切な言葉がそれなのかもしれません。

考えてみませんか? 別れの言葉を。

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最期の瞬間まで喜びはあるもの -その時がくるまで生きている。人も犬も。

君が旅立つまでのこと_扉

終末期を楽しむという選択(3/4)

愛犬の終末期は、悲しみに満ちたもの?
知らない時にはそんなイメージを持ったものでしたが、実際に自分で経験してみると、飼い主は悲劇の中で暮らすばかりではないことが分かりました。

ある種の切なさは常に胸の内にあるのですが、それを補うかのように、愛犬との絆が確信できる時期であり、笑いもあるし、喜びもあったのです。

気持ちの持ちようで、終末期と言うのは楽しめるものなのだな――
そう思いました。

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看取りは日常の延長にある -それは普段と何も変わらない愛おしい日々

君が旅立つまでのこと_扉

終末期を楽しむという選択(2/4)

愛犬の看取りの時というと、何か特別なことが起きるように考えがちですよね。
まるで、崖から突き落とされて、そこから先の世界が一変してしまうみたいな……

もちろん10何年も一緒にいた愛犬との別れの時なので、それは特別な意味を持つのは確かですが、実際にそれを体験してみると、もっと淡々として柔らかで、優しい時間であったように感じました。

もしかしたら、別れの手前にある終末期と言うのは、日常と同じなのではないかな?

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泣いて見送る? 笑って見送る? -涙じゃない別れもあるんだよ

君が旅立つまでのこと_扉

終末期を楽しむという選択(1/4)

愛犬との別れの時、皆さんはどのように我が子を見送りたいでしょうか?
きっと多くの方は、その場で泣き崩れてしまうのではないかと思います。

泣いて別れを惜しむ以外に、別れの方法は無いのでしょうか?
例えば、”泣いて”の対極にある、”笑って”で愛犬を送るということはできないのでしょうか?

実は筆者は、愛犬を”笑って”見送ったのです。

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いつか出会う君の姿は - ピーチーは虹の橋を渡らない|本文

ピーチーは虹の橋を渡らない

死にゆく準備、死なせゆく準備(6/6)

うちの子は、向こうの世界で何をやっているだろうか?
時々そんなことを思います。

愛犬ピーチーは、じっと飼い主が来るのを待っているタイプではありません。
身軽になった体で、走り回っていて欲しい。「なかなか来ないなあ」などと、いつまでも飼い主を待っているんじゃぞと言ってやりたいです。今も――

さて本話では、まるで『虹の橋』かと思うような、死の間際で起きる脳の生理現象についてご紹介します。

自分が死ぬのが、恐くなくなる(むしろ楽しみになる)ようなお話です。

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別れ方は人それぞれ - ピーチーは虹の橋を渡らない|前文

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死にゆく準備、死なせゆく準備(5/6)

『虹の橋』は良い詩だと思います。しかし「うちの子が、そこに行くのかなあ?」と思うと、どうもしっくりきません。うちの子は向こうの世界にいって、じっと飼い主を待っているようなタイプではないのです。どちらかというと、飼い主のことはそっちのけで、遊びに夢中になるタイプ。

だから、うちの子らしく向こうに行って欲しいなあと思いました。
愛犬と飼い主の別れ方って、愛犬と飼い主の数だけあっていいのじゃないかと思いました。

うちにはうちの別れがあって、それがあの子には相応しい。
だからそこには拘りたいな。そんな気持ちなのです。

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虹の橋ってどんなところ? - 意外に知られていない原文と、その解釈

虹の橋ってどんなところ?

死にゆく準備、死なせゆく準備(4/6)

今回は『虹の橋』の原文と、その訳詞を掲載し、そこに少しだけ解説を入れようと思います。

実は『虹の橋』は、少々間違った使い方が見受けられます。
『虹の橋』という言葉だけが独り歩きして、その元になった『虹の橋』の原詩をご存知ない方が多いのだと推測します。

さて、『虹の橋』って、どんなところ?

虹の橋とは? -原文(原詩)とその翻訳

愛犬を失った多くの飼い主の、心の支えとなったことで知られています。
しかし、実際に『虹の橋』の原詩を読まれたことがない方が多いように見受けられます。原詩を知っておかないと、大事なことを誤解してしまいがちなのです。

本話の最後に、少しだけ詩の解釈と、それに対する考察を記しています。

――下記が『虹の橋』の原文(作者不詳)――

Just this side of Heaven is a place called Rainbow Bridge.
When an animal dies that has been especially close to someone here,
that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends
so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine and
our friends are warm and comfortable.

All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor;
those who were hurt or maimed are made whole and strong again,
just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
The animals are happy and content, except for one small thing:
they each miss someone very special, someone who was left behind.

They all run and play together,
but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent; his eager body begins to quiver.
Suddenly, he breaks from the group, flying over the green grass, faster and faster.

You have been spotted, and when you and your special friend finally meet,
you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head,
and you look once more into those trusting eyes,
so long gone from your life, but never absent from your heart.

Then you cross the Rainbow Bridge together...

この詩には様々な翻訳文がありますが、下記はそのうちの1つです。

――翻訳文――

天国のほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛し合っていた動物はみな、死ぬとそこへ行くのです。
そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊びます。
食べ物も水もたっぷりあり、日が降り注ぎ、みんな暖かくて幸せです。

病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、
傷ついていたり不自由な体なっていた子も、
元の体を取り戻します。
まるで、過ぎた日の夢のように・・・

みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があります。
それは、自分にとっての特別な人が――、残してきてしまった人が
ここにいない寂しさ・・・

動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日、その中の1匹が突然立ち止まって、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝いて、からだは喜びに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、速く、飛ぶように。
その子は、あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしません。

幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友を優しく撫でます。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込みます。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。

それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです・・・

――翻訳文・ここまで――

原文(原詩)を考察してみると

ほんの少しだけ、この詩に考察を加えましょう。

ここまで読まれた方は、多くの方が愛犬が旅立った際に用いていらっしゃる『虹の橋を渡った』という言葉は、間違った用法であることがお分かりかと思います。

飼い主を置いて旅立った愛犬は、天国の手前にある『虹の橋』と呼ばれる場所に行くのであって、橋を渡ってはいないのです。
そして、飼い主がくるのをずっと待っていた愛犬は、やっとやってきた飼い主と再会を喜んだ後に、一緒に『虹の橋』を渡って天国に行くのです。

ほんのちょっとだけの差ですが、それだけでこの詩の味わいは違うものになります。

天国の手前にある場所(虹の橋地区とでも言うべき所)と、橋の名前がどちらも『虹の橋』というので、混乱するのですね。きっと。

また、この詩には2話と3話があるようです。
しかし、それは原文を元にして、誰かが創作を加えたもののように思います。
1話と2話と3話ではテイストが全然違うので、それぞれに違う作者がいるのがすぐに分かってしまって、少々興ざめなように思います。

どうせ付け足すのならば、1話と同じテイストで書いてあれば素直に読めるのですけれどね。

この詩は2話、3話でくどくどと説明を加えず、1話だけで終わった方が断然よいと筆者は思っています。説明を省いて、心で読むのが詩というものなのだと思うのです。

でも、これは個人的な好み。
2話、3話がお好きな方もいるので、これ以上は言いません。
読み手次第で解釈が変わるのが文学ですからね。

 

――第2章|犬の死とは(4/10)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:メイさん(飼い主:Pippiママさん)

――次話――

愛犬との別れが迫ると、飼い主はそれを実感するようになります。
今日か明日か、1か月後か――
いつかは分からないけれど、間近ということを肌で感じるのです。
大切な愛犬だから、別れ方は自分で選択したいと思いました。

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――前話――

皆さんの愛犬は、亡くなってからどこに行きますか?
虹の橋で待っている? 天国に直行? どこにも行かないで、ずっといる?
愛犬なりの去り方があって、飼い主なりの送り方がある。
それで良いのだと思います。
我が家は、天国に直行派。

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第2章の初話です
この連載の初話です
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