本作を読んで下さった皆様へ
『君が旅立つまでのこと』をお読みいただき、ありがとうございます。
本作は愛犬ピーチーが天国に旅立った後、闘病や看取りの時の思い出や、そのときに心に芽生えた色々な感情を記録しておこうと、書き始めたものでした。
本作を読んで下さった皆様へ
『君が旅立つまでのこと』をお読みいただき、ありがとうございます。
本作は愛犬ピーチーが天国に旅立った後、闘病や看取りの時の思い出や、そのときに心に芽生えた色々な感情を記録しておこうと、書き始めたものでした。
犬を飼って良かった
ピーチーとの別れから、あっというまに時は過ぎて、暑い夏になっていました。
気持ち的には――
あんまり変わらなかったように思います。
大きなペットロスはなく、一時は大きくなった寂しさは落ち着いて。
しかし、寂しさは無くなったわけではなく――
何というか、寂しさが楽しめるようになっていました。
ピーチーのことを思い出すと寂しいのだから、寂しさは楽しめばいいのだと思い始めたのです。
この考えは、今も同じです。
寂しさは当時と比べて減ったかと言うと、あんまり変わらないように思います。
相変わらず今も寂しくて、相変わらずそれを楽しんでいます。
あの闘病は――
あの介護は――
あの看取りは――
過ぎ去って思うのは、あれらは全て筆者の財産になったのだということです。
以下、当時のブログです。
続きを読む見送ってからの3日間(3/3)
ピーチーが去った時、悲しくはありましたが同時に充実感があって、それがバランスを取っていたような感覚でした。
その当日は、悲しみに打ちひしがれる事も無く、淡々と過ぎました。
その翌日もそうでした。
●
しかし――
この3日目あたりからでしょうか――
寂しさがだんだんと大きくなり、悲しみを上回るほどになっていきました。
ああ、悲しさと寂しさは違うんだ――
そんなことを考えました。
恐らくはそれが、ペットロスというものなのでしょう。
しかし、良く聞くペットロスとは違うようにも思いました。
重症、軽症という区別があるのなら、恐らく軽症なのでしょう。
しかし――
ペットロスは、重い軽いで計れるようなものではないのかもしれません。
(扉の写真と下の写真は、遺影の候補にしていた写真です)
以下、当時のブログです。
続きを読む見送ってからの3日間(2/3)
ピーチーは別れの翌日の朝、荼毘にふしました。
当日は、前の日のブログを書いて、それから斎場に向かいました。
気持ちとしては、沈んでいるのではなく、むしろ前向きでした。
ピーチーの死に様は、誇らしいものであったし、飼い主としての心中も「やり切った」という充実感がありました。
ペットロスの実感はありませんでした。
――とは言え、やはりさびしいなあという思い。
(扉の写真は遺影です。一番好きな写真の1枚でした)
以下、当時のブログです。
続きを読む見送ってからの3日間(1/3)
ここからは、3回に渡って、ピーチーが旅立った後のブログを掲載したいと思います。
ピーチーが去った後の感覚は、よく言われているような喪失感とは、少し違ったように思いました。心にぽかんと穴の空いた感触なのですが、そこには悲壮感はなく、ただ空いた穴を眺めているような感覚。悲しいよりも、寂しいという思いです。
ピーチーはこれまでに、何度も危険な状態(特に大きいのは胆管閉塞と劇症肝炎)に陥り、そこから戻って来ているので、その経験を経て、飼い主側の気持ちも別れに備えて変化していたのでしょう。
もしかしたら、普通の ”悲しい” を、一気に飛び越してしまったのかもしれませんね。
愛犬を亡くした方がよく陥るのが、ペットロス。
「自分にもそのペットロスが訪れるのだろうか?」
そんなことを、まるで人ごとのように思っていました。
以下、当時のブログです。
続きを読む看取りのまとめとして(2/2)
愛犬ピーチーの去り方は劇的であり、ピーチーの今わの際の行動には、我が子のことながらも感動を覚えました。筆者は今も、ピーチーにとても感謝しています。
多くの方の看取りのお話を読むと、筆者と同じように、別れの時に奇跡のような経験をなさっていることの気が付きます。
●
筆者は最近、こう考えるようになりました。
「犬というのは、最期のときまで飼い主を気遣う動物なのだ」
と――
犬の一生を眺めてみて、改めて犬は可愛いと思います。
それは犬を飼う前に感じていた可愛さや、子犬の時に感じた可愛さとは、また違う感情です。
愛犬を看取る経験をなさった方は、きっと同じように感じられていると思います。
続きを読む看取りのまとめとして(1/2)
ペットを飼うということは、命を預かることだという考え方があります。
犬猫の平均寿命は15年ほど。
その間、私たちは小さな命を守り、育むという重要な仕事を、神様から託されているのだという意味だと思います。
私たちは漠然と ”預かる” という考えに納得しているのですが、改めて考えてみると、”預かる” の意味は、とてもぼんやりとしているのではないでしょうか?
預かるという行為が、どういうことであるのか?
また預かった者がやるべきことは何か?
そんな考え方をしてみると、意外に ”命” に対する接し方がはっきりしてくるように思います。
続きを読む仲間たちからの励まし(1/6)看取りのあとで
愛犬ピーチーが天国に旅立ったのは、主治医から肺癌の疑いがあることを知らされてから、僅か11日後でした。それは筆者がピーチーのてんかんの発作を切っ掛けに、ブログを書きはじめてから7か月後の事です。
続きを読む別れまでの12日(18/18)肺がん闘病記
驚くほど短くて、長い時間でした。
ピーチーに妙な兆候が見えたのが3月15日。
病気の発見からこの日で14日目。ちょうど2週間です。
体感的にはその期間は、3か月はたっぷりあったように思います。
だから、今でも日付を辿ると驚くのです。
「たった2週間だっけ?」
それほど濃密な時間でした。
振り返って、苦しかったと言う思いはまったくありません。
誰かにもう一度やるかと聞かれれば、「何度でもやる」と答えるでしょう。
永遠に続けば良いと思った時間が、終わろうとしていました――
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