別れまでの12日(17/18)肺がん闘病記
ピーチーの苦しさは、側で見ていてよくわかりました。
しかし、文句も言わずにピーチーはそれに耐えていました。
いや、耐えていたのかどうかは分かりませんね。
受け入れていたのは確かです。
安楽死の選択は、ずっと頭の中にありました。
ピーチーに痙攣など、劇的な症状が現れたら、恐らくはそれを選択していたはずです。
時間は過ぎていきました――
決断のタイムリミットは、主治医の診療時間である18時です――
以下、当時のブログより。
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ピーチーの苦しさは、側で見ていてよくわかりました。
しかし、文句も言わずにピーチーはそれに耐えていました。
いや、耐えていたのかどうかは分かりませんね。
受け入れていたのは確かです。
安楽死の選択は、ずっと頭の中にありました。
ピーチーに痙攣など、劇的な症状が現れたら、恐らくはそれを選択していたはずです。
時間は過ぎていきました――
決断のタイムリミットは、主治医の診療時間である18時です――
以下、当時のブログより。
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ピーチーとの大切な時間は、刻々と過ぎて行きます。
かなり苦しい状態だと言うことは、見るからにわかります。
筆者は、安楽死は肯定しています。
賛成派というほど積極的ではありませんが、尊重すべき重要な選択肢であると思っています。
しかし、どの時点でそれを選択するのか?
それだけが分かりません。
神様が「今だよ」と教えてくれるのならば、迷わずそれを選択するでしょう。
それほどピーチーは、苦しそうに見えました。
以下、当時のブログです。
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ピーチーの状態は劇的に下がる事はなくなりましたが、ゆっくりと下降していきます。
それを悲しむと言う気持ちはありません。
全てを受け入れて、看取りという一連の時間の中にいたように思います。
●
ピーチーに「行かないでくれ」という気持ちは全くありませんでした。
神様には「どうか穏やかな死を」と祈りました。
「最後にかけてやる言葉は何だろう?」
そう考えるようになりました。
最後は泣かないということだけは、ずっと前から決めていました。
最後は笑顔で送ろうとも決めていました。
以下、当時のブログです。
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この日は、これで3回目の記事更新でした。
刻一刻とピーチーの様子が変わり、それを書き留めていました。
ブログの読者に伝えることも目的でしたが、それよりも自分の心の平静のためだったようにも思います。
文章に書く行為は、冷静に事態を見つめて、心を落ち着かせる効果を持ちます。
この時に思っていたことは1つです。
そう遠くなくやってくるピーチーの旅立ちを、しっかりと受け止めてやろうということだけ。
以下、当時のブログです。
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この頃には、もう深刻な状況が定常化していました。
いつ何が起きても不思議ではなく、ピーチーはもう明日を迎える事がないかもしれないと、常に思っていました。
しかしながら飼い主の心は乱れるのではなく、逆に平静でした。むしろ、どんどん平静になっていったと言うべきかもしれません。覚悟という大袈裟なものではなかったように思います。淡々と現実を受け入れていくのです。上手く表現ができませんが、覚悟よりもっと透明感のある不思議な感覚です。
●
変に思われるかもしれませんが、我が家にはいつも笑いがありました。
病気になり、動きが制限され、元気な頃と全く違うピーチーが目の前にいて、そのピーチーと対話をして、面白い事があれば笑いました。
ピーチーはその風貌通りのオトボケな性格で、面白い事を色々とやらかすのですが、それは病気になってからも同じでした。
闘病も介護も、言葉にすると大変なのですが、なぜか毎日が面白かったですね。
以下、当時のブログです。
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この時期になると、ピーチーの状態は目に見えるように悪くなっていきました。
しかしながら、ピーチーはまだ生きようとしており、その姿に励まされる飼い主。
飼い主にできることは、最早そう多くはありません。
何が起ころうと、現実から目をそむけないで、見守ってやろうという決意のみ。
●
安楽死の選択は、常に頭の中にありました。
きっとその選択をするときが、来るようにも思っていました。
その日が来なければ良いと願う気持ちが半分。
しかしあと半分は、その日が来たら迷うことなく決断しようと決めていました。
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ある時までは死を遠ざけようと、或いは忘れようと、必死にもがきました。
しかしある時を境にして、気持ちが自然に切り替わりました。
良い死を迎えさせてやろう。良い別れをしたい。
積極的にそう思うようになりました。
覚悟が決まったとか、そんな劇的なものではありませんでした。
もっとささやかで、もっと自然な気持ちの変化でした。
●
死は忌むべきものとは、最早思いませんでした。
絹のように柔らかで、優しいもののように思えました。
その死に、いつかピーチーを引き渡すのだと思っていました。
問題は、それがいつなのかというだけ――
以下、当時のブログより
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ピーチーは子犬のころから、食いしん坊でした。
いつも見事な食べっぷりで、
かつて胆管閉塞を患い、いつ胆嚢が破裂するか分からないという時でさえ、医師が驚くほど食欲がありました。
飼い主はとしてはその食欲が、決して尽きる事はないと思っていました。
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しかし、ついにそのピーチーの食欲も尽きようとしていました。
健康な時と違い、介護の段階に入り終末期が訪れると、食欲が別れまでの時間を暗示します。
走れなくなる。歩けなくなる。筋肉が落ちて、体が弱って行く――
そんな姿を見るよりも、食欲がなくなることの方が、何倍もつらかったですねえ。
以下、当時のブログからです。
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ピーチーが劇症肝炎を患い、九死に一生を得てからの日々は、我が家にとってはボーナスタイムのようなものでした。
それまでは年に2回、誕生日とクリスマスにだけあげていた大好物のウニは、毎月の月誕生日のお祝いに変わりました。
「今月も生きてくれてありがとう」
心からそう思いました。
生きてくれること。一か月生き延びてくれることが、どんなに奇跡的なことか――
元気な頃には、思いもしませんでした。
1年先は見通しようもありませんでしたが、こうやって1か月1か月を感謝して、お祝いしていったら、いつのまにか1年が過ぎるんじゃないか――、とも思っていました。
以下、当時のブログより。
続きを読む別れまでの12日(9/18)肺がん闘病記
この日、2つ目の記事を書きました。
ピーチーの体調が目まぐるしく変化するので、この日から1日に2~3回の記事を残すようになります。
自分で過去の記事を読んでみても、別れの覚悟が固まって行くのがわかります。
はじめのうちは、否定(または疑い)だったように思います。
やがてそれは、あるがままの全てを受け入れようという受容の時期に――
●
この頃は、それよりも一歩進んでいて、ピーチーとの別れをどのように意味のあるものにしてやろうかと、むしろ積極的とも言える考えに、変わろうとしていたように思います。
ものすごく長い時間のように感じました。
でも、この日はピーチーの変調に気が付いて、わずか10日しか経っていません。
覚悟と言うのは――
その時になると、元々心中にあったものが、自然に固まるものなのでしょうか?
それとも、どこからか下りてくるものなのでしょうか?
以下、当時のブログです。
続きを読む別れまでの12日(8/18)肺がん闘病記
本記事は、ピーチーの闘病記の中で、もっとも思い出深いものの1つです。
この記事で触れたのは、『虹の橋』についての話でした。
下記の文中にもあるのですが、筆者は『虹の橋』の詩が、どうもしっくりと来ません。嫌いとかではないのです。
むしろ詩として、それだけを見れば名文のようにも思います。
”良い詩”であるという事と、”好きな詩”であるのとは、また別物なのです。
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筆者はこの詩が、沢山のペットロスの方を救っていることは知っていました。
しかしこの『虹の橋』の詩が、自分を救ってくれるものではないという思いが、ずっと心の中にありました。
ピーチーとの別れの覚悟は、少しずつ固まって来て、もうその覚悟は揺るがないものになりつつありました。
だからこの日、ブログを通して、友人たちに1つのメッセージを送ったのです。
『虹の橋』について……
以下、当時のブログより。
続きを読む別れまでの12日(7/18)肺がん闘病記
ピーチーの病状悪化も、前日から下る速度が増した印象でした。
トイレに行くのに、ほんの数メートル歩くだけで息が上がります。
歩くたびに、酸素を吸わせて楽にさせてやる――、その繰り返し。
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ピーチーは自分の体に何かが起きていると思っていて、「あれ、おかしいぞ」というような、戸惑いの表情を見せました。
そして自分で、自分の体が弱っていないのだと思いたいのでしょうか?
それとも飼い主に、自分の元気な姿を見せようとしているでしょうか?
やたらと歩きたがりました。
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試しにと買った携帯酸素のボンベは、もう残り少なくなりました。
その代わりに、前日に申し込んだレンタルの酸素ジェネレーターが届きました。
まさかうちのピーチーのために、酸素テントを使うことになるとは、思っても見ませんでした。何しろ、その僅か半年前には太い枝を咥えて走り回っていた子です。
犬に流れる時間は、本当に早回しだなと思います。
続きを読む別れまでの12日(6/18)肺がん闘病記
ピーチーの状況は悪くなっていきました。
今当時を思うと、ゆっくりと悪くなるのと、階段を下るように悪くなる様が、ミックスしたような感じでした。
体調の小さな浮き沈みに一喜一憂しているところに、ある時ガクンと一段、明らかな
下降があるのです。大きくはありませんが、確実に階段を下る感触がありました。
しかしそれは、大きなショックというわけでもなかったように思います。
割と淡々と受け止めていました。
こんなことを繰り返しながら、飼い主の覚悟は決まって行くのかもしれません。
続きを読む別れまでの12日(5/18)肺がん闘病記
ピーチーが次々と新しい病気を発症したのは、恐らくは自己免疫不全に原因があるであろうと、既に感づいていました。 しかし自己免疫不全には、根本的な治療法はまだ発見されていません。
1つの病気に目途をつけ、ホッとしかけると、次の病気――
回復が、逃げ水のように遠くに去っていきます。
●
日常生活や仕事で何度もこのようなことがあると、きっと何もかも投げ出したくなるのではないでしょうか?
しかし、ピーチーの闘病では、そんな投げ出したい気持ちにはなりませんでした。
何故でしょうね?
きっとピーチーの前向きさに、自分が励まされていたのだと思います。
以下、当時のブログより。
続きを読む別れまでの12日(4/18)肺がん闘病記
ピーチーの最後の闘病のはじまりは、癲癇(てんかん)の発作からでした。
当初は癲癇とだけ闘っていたのです。
※癲癇の闘病記は、別の記事にまとめます。
ようやくそこに目途がたってきたところで、劇症肝炎の発症。
癲癇はそっちのけで、目先の命の危機である劇症肝炎の闘いに切り替わりました。
※劇症肝炎の闘病記は、すでに掲載済みです。▶ 劇症肝炎闘病記
●
この日の時点で、ピーチーの癲癇との闘病はまだ続いており、薬も飲み続けていました。そんな中で、癲癇の発作を起こしてしまうのが、今回の記事です。
因みに、癲癇の発作を起こす前は、ピーチーはとても可愛くなりました。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが本当です。「最近可愛いなあ」と思うのが、注意信号でした。恐らく、自分で予兆を感じて、不安なので甘えて来たのでしょうね。
以下、当時のブログより。
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