別れまでの12日(17/18)肺がん闘病記
ピーチーの苦しさは、側で見ていてよくわかりました。
しかし、文句も言わずにピーチーはそれに耐えていました。
いや、耐えていたのかどうかは分かりませんね。
受け入れていたのは確かです。
安楽死の選択は、ずっと頭の中にありました。
ピーチーに痙攣など、劇的な症状が現れたら、恐らくはそれを選択していたはずです。
時間は過ぎていきました――
決断のタイムリミットは、主治医の診療時間である18時です――
以下、当時のブログより。
3月28日 夜|思い出の散歩道
安楽死を決断する区切りと考えていた、18時を過ぎました。
今日はピーチーと一緒に寝ようかと思います。
苦しそうではありますが、ピーチーはまだ、僕と奥さんと一緒にいたいようだと感じます。
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今日はマンションの踊り場から、一緒に外の景色を見ました。
本当は、一緒に歩きたかったんですけどね。
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あっちは、ときどき行ったドッグラン
お前は、ドッグランは苦手だったよな
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こっちは、いつもの散歩コース
お前は、散歩が大好きだっだよな!
最後に行ったのはいつだっけ?
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テラスからはどの方向を見ても、14年間の思い出で一杯です。
不意に歩き始めたピーチー
さっきまでリビングで寝ていたピーチーですが、何を思ったか、突然起き上がって、僕の部屋の方に歩き出しました。
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これはリビングにいたピーチー
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僕は急いでピーチーと一緒に、酸素のジェネレーターを移動させました。
これまで書いていませんでしたが、実はこの移動は結構大変です。
酸素ジェネレーターのスイッチを切り、コンセントを抜いて、重い機材を移動させてそこでまだコンセントを差して、スイッチオン。
ピーチーを移動させて、吸入マスクを被せてやる。
ピーチーが苦しくないように、それを15秒ほどのうちにやるのです。
まるで自動車レースのピット作業みたいです。
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移動を終えて、ピーチーをいつもの定位置である、僕の机の下に寝かせてやると、ピーチーは「ありがとう」と言うように、首を持ち上げました。
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移動して、首だけピクリ
お礼何ていらないぞ、ピーチー
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ああ、もうちょっと大丈夫そうだな、ピーチー。
そうそう、ピーチーは歳をとってから、耳がだらりと寝るようになっていたんですが、ここ数日はピンと立っています。ブルテリアっぽいです。
明日も良い日になるといいな、ピーチー。
――第4章|看取りの記録を読もう(20/29)――
この記事について
作者:高栖匡躬
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表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
14年7か月前に、ダンボールに入ってやって来て、
うちにピッタリの子に育って、
いつの間にか飼い主を追い越していきました。
最後は、自分で決めたのかい?
お前らしい去り方だったよ。
ピーチー
――前話――
ピーチーがひどくつらそうにしている昼頃。
安楽死の言葉が頭をよぎりました。
ついにその時か?
決断をしかけた時――
ピーチーが勢いよく身をよじりました。
「まだ一緒にいたいんだよ、きっと」
「そうだな」
主治医の診療時間が、決断のリミットでした――
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