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君が旅立つまでのこと

いつか出会う君の姿は - ピーチーは虹の橋を渡らない|本文

ピーチーは虹の橋を渡らない

死にゆく準備、死なせゆく準備(6/6)

うちの子は、向こうの世界で何をやっているだろうか?
時々そんなことを思います。

愛犬ピーチーは、じっと飼い主が来るのを待っているタイプではありません。
身軽になった体で、走り回っていて欲しい。「なかなか来ないなあ」などと、いつまでも飼い主を待っているんじゃぞと言ってやりたいです。今も――

さて本話では、まるで『虹の橋』かと思うような、死の間際で起きる脳の生理現象についてご紹介します。

自分が死ぬのが、恐くなくなる(むしろ楽しみになる)ようなお話です。

愛犬との別れの前に、仲間たちにお願いをしました

前話|『別れ方は人それぞれ』 にひき続き、『ピーチーは虹の橋を渡らない』の本文をご紹介します。

前話ではピーチーの死には『虹の橋』は似合わないという、飼い主としての正直な心境を書きました。本話では、そう考えるようになった理由と、ブログ仲間たちに向けて綴った ”ある” お願いについて触れたいと思います。

――以下、2016年3月25日のブログより――

ピーチーは虹の橋を渡らない - 仲間たちへのお願い

有名な『虹の橋』の詩。
ご存じとは思いますが、かいつまんで言うと、内容はこうです。

飼主よりも先に死を迎えた愛犬は、天国の手前にある虹の橋に行く。そして、そこで元気な姿になって、いつか飼い主が現れるのを首を長くして待っている。
やがてそこに飼い主が現れる。愛犬は一目散に駆け寄り、飼い主と再会を喜びあう。
そして一緒に虹の橋を渡って、天国にいく。

実を言うと、僕はこの『虹の橋』の話が、あまり好きではありません。もちろん否定をしているわけではありませんが――
ただ、あまりにもセンチメンタル過ぎて、僕と奥さんとピーチーには似合わないなと思うだけです。

ピーチーは一生懸命生きて、その結果、自然の摂理として寿命を迎える。
たったそれだけの、小さな小さな、とるに足らない事が起きるだけ。
そんな死に様の方が、ピーチーに似合っているし、僕にも奥さんにもその方が良いのです。

この『虹の橋』と現象面が似ているのですが、僕にはひとつだけ信じていることがあります。

立花隆さんの書かれた『臨死体験』という本をご存じでしょうか?
1994年に発表され、当時のベストセラー。
NHKでもドキュメンタリー番組が放送されました。
内容は、死に臨んだときの人間の脳の動きを、脳科学と臨床の両面から克明に追ったものです。

人間は死に臨んだ時、脳の中にある、ある不思議な回路が動くことが証明されています。過去の記憶、それも意識下ではすでに忘れ去ったと思っていたことが、瞬時に脳内で再生されるのです。
――それも、幸せだった記憶だけを選んで。

そこに登場するのは、まだ若く活力に満ちた両親、兄弟、妻、子ども、親戚など。記憶の中の登場人物たちは、時系列を無視して、皆が一番良い思い出の状態で現れるそうです。

当時のハードカバーの帯に立花氏は、『死ぬのが怖くなくなった』と書かれていました。

本を読んで、僕もそう思いました。

この本に書かれていたことが事実であるとすると、いつか僕が寿命を終えるとき、臨終の瞬間に、僕が無意識下で一番会いたい人たちが、一番良い時の状態で現れてくれるはずです。

まるで、神様が最期にくれるご褒美です。

当然、ピーチーも現れてくれるでしょうが、そのときのピーチーはいったいどんな姿なのでしょう?

うちに来たばかりの、可愛い幼犬なのか?
遊び盛りの子犬の頃なのか?
一番運動量が多くて、活力に満ちていた7歳くらい?
ちょっと落ち着き始めた10歳?
病気がちになりはじめた11歳?
最後の力を振り絞って、死と闘っている今?

どれも可愛く、愛おしいので、僕にはどれが一番なのか言えません。
でも、僕の脳はいつか、この中から一番僕が可愛くて、会いたいと思っているピーチーを選んでくれます。

さて、一体僕の脳は、どのピーチーを選ぶのでしょう?
今からそれが、楽しみでなりません。

ここで、皆さんにお願いしたいことがあります。
ピーチーが最期の時を迎えた時に、僕にも奥さんにも、「ピーチーが虹の橋を渡った」という慰め方はしないで欲しいんです。

ピーチーは全力で生きて、一生を駆け抜けた。
僕たちは、それを全力で見守った。

たったそれだけ……、という事にしたいんです……
それがピーチーと僕たちに、一番お似合いだと思うんです。

お願いしますね。

皆さん。

――本文はここまで――

もしも神様がいるのならば

ここからは、本文への追記です。
ピーチーとの別れが間近であることを肌で感じながら、段々と覚悟をしていった時期の思い。もしも神様がいたとしたら、何をお願いするのか?

ピーチーは虹の橋を渡らない - 当時の心境は

繰り返しになりますが、僕も奥さんも『虹の橋』を否定していません。
文章中にも書いたことですが、ピーチーとうちには似合わないというだけです。

敢て『虹の橋』になぞらえていうのなら、こうです。

「ピーチー、よその子は虹の橋で待っているかもしれないけれど、うちは待ってなくていいぞ。やることやったんだから、先に天国にいって、美味い物食ってろよ」

もしも今、目の前に神様が現れて、「お前の望みを一つだけ聞いてやろう」と言ったら、僕は「ピーチーに永遠の命を」とか、「ピーチーを元気にして下さい」というお願いはきっとしません。

「神様、天国に北海道利尻産の高級ウニを用意しておいてください」
そうお願いすると思います。
それが、今の心境です。

 

これが当時書いた文章です。
ピーチーはこの文章を書いた3日後の朝、旅立って行きました。

尚、北海道利尻産の高級ウニというのは、筆者の愛犬ピーチーが、何故だかウニが大好物だったからです。

病気になってからは、毎月の月誕生日に、ほどほどの値段のチリ産のウニを食べさせてやったのですが、北海道産は高いので、年1回の本当の誕生日にしか食べさせてあげられませんでした。

※本記事の内容は、ピーチーの肺がん闘病記の中でも触れています。
※日付を追った闘病記の一部としても読んでみてください。

 

――第2章|犬の死とは(6/10)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:今回の表紙は、ピーチーです。

――次話――

愛犬を看取るとき、泣いて見送ってあげたいですか?
それとも笑って見送ってあげたいですか?
筆者は笑って、愛犬を見送りました。
楽しく過ごした一生の最後のご褒美は、やっぱり笑顔だと思ったのです。
ただ、それをするには準備が必要で――

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――前話――

愛犬との別れが迫ると、飼い主はそれを実感するようになります。
今日か明日か、1か月後か――
いつかは分からないけれど、間近ということを肌で感じるのです。
大切な愛犬だから、別れ方は自分で選択したいと思いました。

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第2章の初話です
この連載の初話です
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