死にゆく準備、死なせゆく準備(3/6)
皆さん、『虹の橋』はご存知でしょうか?
ペットとの別れの際に、好んで使われる言葉です。
筆者が『虹の橋』を知ったのは、割と後になってからで、先代犬のピーチーが闘病をしているときでした。愛犬が元気な時には、縁遠い言葉だったわけです。
「良い言葉だな」と思いました。
しかしピーチーの容態が悪くなってきて、いざ自分が『虹の橋』で慰めてもらう姿が現実味を帯びてくると、「何だかこの子には似合わないなあ」と思うようになりました。
今回から4話は、この『虹の橋』のお話です。
ピーチーは虹の橋を渡らない
2016年春のことです。筆者の愛犬ピーチーは、肺がんのために終末期にありました。
いよいよピーチーの死が迫り、最早それが避けられないと悟った時、筆者はあることを実行しました。ほぼ毎日のように更新していたブログに、一つの文章を載せたのです。
題名はこれです。
『ピーチーは虹の橋を渡らない』
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多くの飼い主さんが、愛犬の死に接した時に好んで使われる言葉が『虹の橋』です。
具体的にはご自分の愛犬や、友人の愛犬の死を表す時に、『虹の橋を渡った』、或いは『虹の橋に行った』という表現をされているのを、SNSではよく見かけます。
恐らくそれは、 ”死” という直接的な表現を避け、自身やその言葉を掛けようとする相手の、ショックを和らげようとする配慮であると思われます。
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筆者は『虹の橋』を否定するものではありませんが、自分の愛犬にそれを用いることに違和感がありました。
前二話で、”生きざま" と "死にざま” について考察をしましたが、それを筆者の愛犬ピーチーに照らすと、どうにも『虹の橋』は似合わないと感じたのです。
ピーチーには ”死” というストレートな表現こそが相応しく、『虹の橋』でオブラートにくるんでしまうのは、似つかわしくないと思いました。
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筆者が『ピーチーは虹の橋を渡らない』を書いた時点では、ピーチーがまだ生存していました。しかし、死は避けられない状況でした。やがて訪れるピーチーの死に際し、きっと沢山の方々が筆者を慰めて下さるに違いないと思ってこの文章を書きました。
不遜な表現と思われるかもしれませんが、それを覚悟で言えば、慰めていただくのであれば、『虹の橋』という言葉が登場する度に、違和感を感じたくないと思ったのです。
だからストレートに『ピーチーは虹の橋を渡らない』という表現を用いました。
この文章は、当時書いたブログを引用して、次話以降でご紹介したく思います。
否定ではなく、うちには似合わないというだけ
繰り返しになりますが、筆者は『虹の橋』を否定しません。それどころかそれは、多くの飼い主さんの心を救っている素晴らしい詩だと思っています。
ただ、うちには似合わないというだけです。
なぜそうなのかなと、改めて考えてみた時、そこに人の手の温もりがあるからなのだと気がつきました。もっと直接的に表現すると、温もりというのは配慮とか、優しさなのだと思います。
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何故温もりに違和感があるのかというと、多分それは筆者の死生観なのだと思います。
筆者にとっての死は、誰にでも訪れる当たり前の現象です。もう会えなくなってしまう悲しみはありますが、死そのもに特別な意味があるとは思えないのです。死は直視すべきものであり、オブラートにくるむべきでないと言うのが筆者の考えです。だからそこに違和感を感じたのです。
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前にも書いたように、飼い主の生きざまが愛犬の死にざまなのだとしたら、どうか最期は飼い主の好きにさせてくれというのが筆者の思いでした。
もしも誰かに、『ピーチーは虹の橋を渡らない』の文章を書いて良かったかと訊かれたら、大いに満足だったと答えたいです。
お悔やみは『またね』で
過日にいただいた沢山のお悔みの中には、『虹の橋』の言葉は使われておらず、筆者が大好きな『またね』という言葉で、皆さんが愛犬ピーチーを見送ってくださいました。
良い別れをしたと、今も思います。
最後くらい、わがままを通したい。
その願いが叶った結果です。
※『またね』に関しては、2章の最終話に詳しく書いています。
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因みに、もしも今後どなたかが、『虹の橋』の言葉で愛犬ピーチーの死を悔やんでくださったとしたら、素直にありがとうと感謝することでしょう。その気持ちには、何らの無理も違和感もありません。
ピーチーを荼毘に付した火葬場では、最後に『虹の橋』をプリントした紙を渡してくださいました。
とても優しい配慮だったと思っています。
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(注)
もしかすると『虹の橋』をご存知ない方が」いらっしゃるかもしれませんので、次話にて一旦『虹の橋』について解説し、次次話から『ピーチーは虹の橋を渡らない』のご紹介をします。
――第2章|犬の死とは(3/10)つづく――
この記事について
作者:高栖匡躬
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表紙:Pippiさん(飼い主:Pippiママさん)
――次話――
虹の橋ってどんなところ?
愛犬との別れに、良く用いられる『虹の橋』という言葉。
その出典は、作者不詳の詩です。
意外にも原詩や、その訳詞を読んだことがない方が多いように思います。
どうか読んでみてください。
『虹の橋』に、違う風景が見えてくるかも――
――前話――
別れの瞬間は特別なものか?
愛犬の死は飼い主にとって特別な時。
しかし全ての飼い主が、臨終の場にいられるわけではない。
死の瞬間は、そんなに大切なものか?
看取りは、予感のようなものから始まる連続した時間。
その瞬間に立ち会えないとしても、悔いるものではない。
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▶ 第2章の初話です
▶ この連載の初話です
▶ この連載の目次