愛犬の闘病の間、飼い主は何度も選択を迫られます。
犬が口をきけない以上、飼い主が愛犬に代って治療法の選択をし、経過を追い、その治療の結果として出てくる検査の結果を待つしかありません。
検査の結果が良いものであろうと、悪い物であろうと、結果が出ると、次の選択が待っています。
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こと犬の闘病に限れば、その選択は生易しいものではありません。
何故ならば、選択を間違えれば愛犬の体にダメージを与えることになり、時にはそれが、命を左右することになるかもしれないからです。
今でも忘れられない選択
筆者の体験の中には、今でも忘れられない ”選択” があります。
それは、本章の闘病記にも書いた、愛犬ピーチーが劇症肝炎を患った時のことでした。
ある治療法(このときはステロイドの大量投与)を選択すれば、もしかすると愛犬に効果があるかもしれない。しかし、もしもそれが裏目にでて効果が無かった場合は、愛犬に残されている僅かな力の全てを奪い、命に止めを刺すことになるだろうという、厳しいものでした。
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悩む時間はほんの僅かしかありませんでした。そしてその時間を過ぎれば、選択をしなかったことと同じ結果を招くのです。
この選択の経緯については、下記のエピソードで触れています。
飼い主にできることは何か?
このような決断の時、飼い主ができることといえばほんの僅かしかありません。自分の選択の精度を上げるために、ひたすら知識を得ること。そして最後に、これまで愛犬と過ごしてきた時間で培われた、勘と覚悟に頼るのみです。
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刻々と時が過ぎるなか、筆者は考えたことが有りました。
それは愛犬ピーチーを、迷いの中では死なせたくはないという事です。
もしも結果が悪い方向に向かうとしても、せめてどっちつかずの消極的な迷いの中でなく、飼い主の強い決断の結果として死なせてやりたい と考えました。
それから筆者は決心しました。
一旦選択したら、もう迷わないという事をです。
動きはじめたら、結果は出てしまう
選択する前の段階ならば、幾ら迷っても構わないでしょう。しかし一旦事が動きはじめたら、もう迷っても迷わなくても、結果は出てきてしまうのです。
となれば、後は飼い主の気持ちの持ちようだけです。
愛犬の命を左右する選択は、飼い主にとって大変な重圧です。しかしそれこそが飼い主冥利であるとも言えます。
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選択とは飼い主にとって闘病そのもの であり、身を切る闘い なのだと思います。
愛犬は生死を賭けた闘いに、最後まで前向きに挑み続けます。
その愛犬の姿勢に報いる唯一の方法は、結果を後悔しない、覚悟の選択してやることだけなのだと、今でも筆者は思っています。
本章(第3章)は筆者の愛犬ピーチーの闘病の記録(胆管閉塞闘病記 、劇症肝炎闘病記)であると共に、筆者の選択の記録でもあります。その内容が、これから闘病に臨まれる飼い主さんにとって、少しでも参考になれば幸いです。
――第3章|闘病記を読もう(28/28)――
――本話で第3章は終わりです――
この記事について
作者:高栖匡躬
▶プロフィール
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表紙:今回の表紙は、ベッキーさん(飼い主:あおい空さん)です。
――次話――
次話は第4章の初話|看取りの時へのプロローグです。
はじまりは小さな変化でした。
体の震え。ときどき息が粗い。食欲不振。
ピーチーは大病を2度経験してから、体調が悪いときがたまにありました。
既往症もありました。
またかな? と思いました。
その時は――
しかしそれは、“別れの始まり”でした。
――前話――
―劇症肝炎闘病記の最終話―
退院から4日、すっかり元気になったピーチー。
日付が変わると14歳の誕生日です。
数日前は、まさかこの日が訪れるとは思いませんでした。
実はずっと、回復を心からは喜べませんでした。
いつ急変するか分からなかったからです。
しかし、もう大丈夫。
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▶ 第3章の初話です
▶ この連載の初話です
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