看取りの記録を残す理由(1/3)
3月は筆者にとって特別な月です。
なぜならば2016年3月29日に、筆者の大切な愛犬、ピーチーが天国に旅だったからです。
病名は肺がんでした。今でも当時のことは、鮮明に覚えています。
幸いにもペットロスはありませんでした。
正確に言えば、大きなペットロスはなかったというべきかもしれません。
別れのときには、笑って送ってやりました。ピーチーらしい清々しい去り方でした。
悲しみはあったのですが、同時に全てをやり切ったという満足感があり、またそうさせてくれたピーチーを誇らしくも思いました。
●
ピーチーが去ってから、筆者はピーチーとの思い出をエッセイにまとめました。
一緒に過ごした日々や、その時に考えたことを文章として残し、伝えていこうと思ったのです。
第4章はそのエッセイを元に構成をしています。闘病記ではありますが、治療日記のようなものではありません。別れの時を見据えながら、大切な最後のひと時を一緒に過ごした、介護と看取りの記録です。
これから愛犬の闘病や介護をされる方の応援歌になることを願いながら、まとめていこうと思います。
第4章の構成について
ピーチーの小さな異変に気付いたのは、2016年の3月15日のことでした。
(扉の写真はその少し前の3月6日に撮影)
少しだけ様子を見て、やはりおかしいと感じたのが3日後の18日。
そこでかかりつけ医を受診し、レントゲンで肺に写った影が指摘されました。
そこからピーチーの病状は、急速に悪化していきます。
●
第4章はピーチーが罹患した最後の病、『肺がん』の介護の記録であり、同時に看取りの記録です。2016年の日付の通りに辿って、日記のスタイルで構成していきます。
まず次話と次次話で、看取りの記録を残す理由(意義)を書こうと思います。
それに続いて、看取りの12日間を記していきます。
●
いつかの未来のために、どうかお読みいただければ幸いです。
予め申しておきますが、暗い話ではありません。
まずはプロローグとして、小さな異変の3月15日を以下に――
3月15日|異変のはじまり - プロローグ
――当時のブログより――
ここ数日、ピーチーが調子よくありません。
ものすごく悪いわけではないのですが、1日中震えていて、いつもではありませんが、息が荒く、食欲が落ちています。
食べる量としては、いつもの半分くらい。
今日は散歩に行こうとしたら、気乗りしない顔で、20歩ほど歩いたところで散歩拒否。
なだめたり、すかしたりしても変わらず。
●
家には抱きかかえて帰りました。
帰ったら、気持ちよさそうに寝ています。
●
そして熟睡している間は、震えが止まります。
●
実は、ピーチーは甲状腺ホルモンの値がとても低いのです。
薬を飲み始めてからは震えが軽減していたのですが、また悪くなったのかな?
――第4章|看取りの記録を読もう(1/29)――
この記事について
作者:高栖匡躬
▶プロフィール
Follow @peachy_love
表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
別れが近づくと、飼い主は “その時” が近いことを肌で感じますよね。
最初はその嫌な予感を打ち消すのですが、やがて心が準備を始めます。
ペットは自分の死を通して、色々なことを教えてくれます。
看取って初めて分かることが、沢山あるのです。
――前話――
(前話は第3章の最終話です)
ペットの闘病は、飼い主が全てを決断します。
病状を聞き、治療法を決めるのは飼い主。
時にはその決断が、命を左右することもあります。
闘病は“身を切るような選択”の連続。
例え間違っていても、後悔の無い選択をするのが飼い主だと思うのです。
●