MATANE

君が旅立つまでのこと

大切な時間、悔いのない時間 - この章の最後に

肺がん闘病記_悔いのない時間

看取りのまとめとして(2/2)

愛犬ピーチーの去り方は劇的であり、ピーチーの今わの際の行動には、我が子のことながらも感動を覚えました。筆者は今も、ピーチーにとても感謝しています。

多くの方の看取りのお話を読むと、筆者と同じように、別れの時に奇跡のような経験をなさっていることの気が付きます。

筆者は最近、こう考えるようになりました。
「犬というのは、最期のときまで飼い主を気遣う動物なのだ」
と――

犬の一生を眺めてみて、改めて犬は可愛いと思います。
それは犬を飼う前に感じていた可愛さや、子犬の時に感じた可愛さとは、また違う感情です。

愛犬を看取る経験をなさった方は、きっと同じように感じられていると思います。

看取りの形は無数にあるもの

筆者は、ピーチーの去り際で我が家に起きた様々な幸運に感謝しています。しかしながら、我が家に起きた出来事が、最良だったとは思っていません。筆者がこの章で書いたピーチーとの別れの記録は、無数にあるであろう、飼い主と愛犬たちの別れの、たった一つの例にすぎません。

全ての飼い主と愛犬たちが、最期のひと時を一緒に過ごせるとは限りません。これは第2章の『別れの瞬間は特別なものか』でも、一度触れた事です。

病院に入院中に息を引き取る犬もいることでしょう。

飼い主の帰宅を懸命に待っていながら、不幸にも体力が続かず、飼い主の顔を見ることなく旅立つ犬もいるはずです。現在のような多忙な世の中では、もしかすると、そちらの方が多いようにも思えます。

別れは瞬間ではなく、連続した時間

自分の経験からいうと、別れと言うのは瞬間ではなく、ある連続した時間のように思います。飼い主が別れを予感した時から、すでに別れは始まっていると言って良いのではないでしょうか?

筆者は幸いにも、ピーチーの臨終の瞬間に立ち会うことができました。
しかし、それから4年が過ぎて思いだすのは、”その瞬間” のことではなく、その前の事ばかりです。別れの覚悟や、別れの準備の方が、強く印象に残っているのです。

もしも愛犬の臨終に立ち会えなかった飼い主さんがいらっしゃったとしても、それは決して悔いることでは無いと申し上げたいです。飼い主と愛犬は、別れという一連の時間を確実に共有していたのですから。

どうか今を楽しんでください

今、愛犬が病の床にあり、死が避けられないものと実感されている飼主さんがいらっしゃれば、ぜひこれからを楽しんで下さいと言いたいです。
犬との触れ合いは、その時でなければできないことが幾つもあります。例えば、生まれたばかりの幼犬の時が瞬く間に過ぎて、その後同じ経験が二度と出来ないようにです。

老犬になって、或いは病気になって弱っていく我が子と過ごす時間は、その時でなければ味わえない貴重なものです。愛犬を看取った経験者として言わせてもらえば、飼主にとっての最期のひと時は、ずっと消えることのない大切な思い出です。

どうか後悔の残らぬように、皆さんが愛犬を見送るそれぞれの方法を見つけられることができますよう、祈っています。

 

――第4章|看取りの記録を読もう(29/29)――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:トショさん(飼い主:ホップのともだちさん)

――次話――

次話は新章(5章)、看取ったあとのお話です。

ピーチーが去った翌日。
喪失感はあるのですが、悲壮感はありません。
ただ心にポカンと穴が開いたような空虚な思いのみ。
「これがペットロス?」
棺の中にはピーチーがいました。
――慣れ親しんだ肌触り。
しかし、体温だけがありませんでした。

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――前話――

犬を飼う時、命を『預かる』という表現を良く使います。
私たちは、それが出来ているでしょうか?
――預かるとは、どういうことなのか?
――預かった者は、何をすべきなのか?
そんな風に考えてみると、『命』との向き合い方が分かるような気がします。

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第4章の初話です 
この連載の初話です
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