別れまでの12日(18/18)肺がん闘病記
驚くほど短くて、長い時間でした。
ピーチーに妙な兆候が見えたのが3月15日。
病気の発見からこの日で14日目。ちょうど2週間です。
体感的にはその期間は、3か月はたっぷりあったように思います。
だから、今でも日付を辿ると驚くのです。
「たった2週間だっけ?」
それほど濃密な時間でした。
振り返って、苦しかったと言う思いはまったくありません。
誰かにもう一度やるかと聞かれれば、「何度でもやる」と答えるでしょう。
永遠に続けば良いと思った時間が、終わろうとしていました――
3月29日 昼|別れの時
今日の午前の事です。うちのピーチーが逝ってしまいました。
とてもピーチーらしい最期でした。
僕も奥さんも誇らしい思いで一杯です。
いつかこのブログに、ピーチーとのお別れを書くことになるとは思っていましたが、こんなに爽やかな思いでこの文章を書くことになるとは思いませんでした。
皆さんに、ピーチーの最期を知って欲しくて、少し長くなりますが、ピーチーと我が家に起きた魔法のような3時間を記そうと思います。
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まずは昨夜、寝ようとした時に、ピーチーはどうしても立ち上がりたそうに身をよじりました。奥さんが起こして、手を添えてやると、家の中をパトロールしました。昔からピーチーは何か心配事があると、自分で家中を見て回るのです。
ピーチーは安心したのか、それで眠りにつきました。
未明の6時30分頃のことです。
僕は、ピーチーと一緒に寝ていた奥さんに呼ばれました。
何事かと思って行ってみると、ピーチーがここ最近無かったような、気持ちよさそうな寝顔と寝息で、スヤスヤ寝ているのです。
「可愛いでしょ?」
「可愛いね」
そんなことを言っていると、ピーチーが目を覚ましました。
ぱっちりと目を開けて、まるで元気な頃のような目の輝きです。
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その時の写真がこれです。
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ピーチーの顔が、ちょっと不細工に写ってしまったのですが、表情は生き生きとしていました。こぼれるような笑顔と、輝くような瞳です。
この笑顔から、魔法の3時間が始まったんです。
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写真を撮るために、ベンチュリーマスクを一瞬だけ外したのですが、付けなおしてあげた直後に、ピーチーは突然に具合が悪くなりました。
口から泡を吹いて、呼吸も尋常でないほど荒くなりました。
実は僕は、父親を肺がんで失くしているのですが、その時のピーチーの様子は、父親の最後の瞬間にそっくりでした。
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奥さんと二人でピーチーの体をさすりました。
そしてもうこれが最後だと思い、僕たちは別れの言葉をピーチーに言いました。
「ありがとう、ピーチー」
「もういいから、無理するなよ」
「うちに来てくれてありがとう」
でも、ピーチーはそこでは逝きませんでした。
苦しそうではありますが、段々と呼吸を整えて、元の状態に戻っていきました。
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しかし、僕も奥さんもその出来事で、もうピーチーに残された時間は少ないと覚悟をしました。
ピーチーは動けなくなりましたが、目だけは僕と奥さんの姿を追っていました。
飼い主として選んだのは安楽死
僕たちは、ピーチーが寝ている布団を動かし、枕の高さを調整し、いつもピーチーの視界の中に二人が入っている場所を探しました。そして、ようやくその場所を見つけた時には、僕と奥さんの覚悟は決まっていました。
ピーチーを安楽死させてやろうと……
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ピーチーは一旦の小康状態を取り戻しましたが、すぐにまた危険な状態がやってくるでしょう。それを乗り越えたとしても、すぐにまた次が来ます。
ピーチーが苦しむ前に、最後の決断をしてやろうと思いました。
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主治医の開院時間は9時。8時30分には電話がつながるはずです。
電話の時間を待つ間に、僕たちは、沢山写真を撮りました。
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もちろん家族写真も。
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主治医には8時35分に電話が繋がりました。
「先生……、いよいよお別れの時が来たみたいです。往診をお願いします」
それが僕の言葉でした。ピーチーの別れでは、決して泣くまいと決意していましたが、いざその言葉を発するときには、声が震えました。
まるで自分の声ではないようで、誰かがどこかで発するその言葉を、じっと聞いているような感覚でした。
「分かりました、何時にお伺いしましょう?」
「なるべく早くお願いします」
「それでは9時半に伺いますね」
僕と奥さんは、ピーチーのアイパンチを、また黒くしてやりました。
それから、ピーチーがうちに来てからの思い出話をしました。
懐かしい、良い思い出ばかりです。
うちに来たばかりの子犬の時。
もう大人になったはずなのに落ち着きのない日々のこと。
病気がちになってからの悪戦苦闘。
時折ピーチーを撫でてやると、体の温かみが手のひらに伝わってきます。ピーチーの肉球の匂いをかいで、「ああ、枝豆の匂いがするよ」なんて、ふざけたりもしました。
笑顔の別れ
そうしているうちにも、刻々と時間が過ぎ、9時半を回りました。
これから呼び鈴が鳴って、主治医を迎え入れる時――
それはピーチーの安楽死をお願いする時です。
でも、僕たちには、もう迷いはありませんでした。
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「そろそろだね」
そう僕が言った瞬間でした。
同じ姿勢のままで動かなかったピーチーが、大きな伸びをしたのです。
「どうした、ピーチー?」
僕と奥さんはすぐに、ピーチーに取りついて、体の様子を窺いました。
ピーチーは大きく息を一つだけして、そこで息が止まりました。
心臓はまだかすかに動いていましたが、もうピーチーが呼吸をすることはありませんでした。
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「ありがとう」
「またね」
そう言葉を掛けた瞬間に、呼び鈴が鳴りました。
主治医の先生は、聴診器でピーチーの心音を確認してくださいました。
ピーチーの心臓が止まったのは、その直後です。
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この時に起きた事を振り返ると、まずピーチーは笑顔で僕たちに挨拶をして、その直後の容態の急変で、まず僕たちに、自分が旅立つ時の覚悟をさせました。
そして次に、僕たちが安楽死のお願いを、主治医にするギリギリの時間まで一緒に過ごし、自分から旅立って行ったんです。
こんな最期なんて、予想もしていませんでした。
一番最後は、僕も奥さんも、主治医も、看護師さんも、みんな笑顔だったんです。
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ずっと思っていた通りでした。
死に様は、生き様と一緒だと。
ピーチーは一番自分らしい方法で、自分で決めて旅立ったんだと思います。
14年と7か月と3日。
自分らしく一生を駆け抜けたピーチーを、僕も奥さんも誇りに思っています。
ありがとう。
ピーチー。
またね。
――第4章|看取りの記録を読もう(21/29)――
この記事について
作者:高栖匡躬
▶プロフィール
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表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
次話は仲間たちからの追悼の言葉です。
それは、忘れられない宝物
ピーチーが旅立った時、仲間たちから沢山の追悼の言葉をいただきました。
どの言葉も優しさが溢れていて、心に染みました。
今もそれを読み返すと、あの時の事をまざまざと思い出します。
別れは悲しい出来事。
しかし、優しい思い出です。
今も――
――前話――
安楽死を決断するリミットを過ぎました。
ピーチーに大きな変化はなく、この日は一緒に寝ることにしました。
それは、ピーチーが悶え苦しみ死ぬかもしれない可能性を、受け入れることでもあります。
しかし――、それもピーチーらしいと思いました。
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▶ 肺がん闘病記の初話です
▶ 第4章の初話です
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