看取りの記録を残す理由(3/3)
”最期の時”に想うことがあります。
筆者にとって愛犬の最期の時(終末期~臨終)というのは、寂しいけれども良い思い出です。思い出す度に力をもらうし、今でもまだ愛犬と心が通っているんだと思わせてくれます。
「今頃ピーチーは、天国でどうしているかなあ?」
そう思うたびに、「あっちで、楽しくやっているだろうなあ」と思って、笑顔になります。
別れは決して、悪いものではないと思うのです。
別れは必ず訪れる
自分の愛犬が歳をとり、平均的な寿命の年齢を迎える頃になると、とたんにその死が身近なものになってきます。そんな時に、多くの飼い主が覗くようになるのが、ペットロスや闘病をテーマとした、ホームページやブログです。
筆者の場合もそうでした。
必ず訪れる愛犬と別かれに備えて、自然に心が準備をしたがるのです。
それは、神様の手配のような不思議の時
当然ながらこの種のブログでは、愛犬との別れにまつわるエピソードがつきものです。そしてブログを通して、幾つもの別れを追体験していると、不思議なことに気がつきます。
愛犬との別れには、まるで神様が手配をしたかのような絶妙なタイミングが沢山あるのです。
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幾つか例を挙げてみましょう。これらは筆者がブログで知り合った方々が、実際に記事として書かれたものを抜き出したものです。
ずっと仕事に追われていて、何か月ぶりかの休みで、たまたま家にいたその日に、愛犬が天国に行った。
ケース2
単身赴任で普段は家にいられないのに、久しぶりに家に戻って、散歩に連れて行ったその夜に旅立ってしまった。
ケース3
海外にいて、たまたま愛犬が夢に出てきたその時間が、愛犬が息を引き取った時間であった
まるで命の炎を燃やすように
これら別れのタイミングにまつわる不思議(奇跡)と同じくらいに、愛犬が死の一歩手前で、最後の命の炎を燃やすように元気を取り戻し、家族たちと楽しいひと時を過ごしたという体験も良く目にします。
フリーアナウンサーで、癌で亡くなった逸見正孝さんの奥様、晴恵さんの愛犬、ダルメシアンのヤンチャビのエピソードは、TVでも紹介されたこともあって有名です。
難病を患った晴枝さんが病院で亡くなり、無言の帰宅をしたその時、既に背骨に障害があって歩けなくなっていたヤンチャビが、残った力を振り絞るように、晴枝さんの枕元に這いずるようにやってきました。
そしてヤンチャビは、2日遺体に間寄り添った後に、自分も天国に旅立ったのです。
我が家にも奇跡は舞い降りる
愛犬との別れの話は、どれもこれも感動的な話です。
それらを知った当時は、「こんな劇的なことが、我が家にも起きるのだろうか?」と思いました。むしろ「起きるはずがない」とも思ったものです。
いたずらっ子で、腕白で、食いしん坊で、特別に他の子と比べて利口とも思えない、ごく普通の我が愛犬が、そんな感動的な行いをするとなど予想もつきませんでした。
しかし、結果を先に申し上げると、我が家にもその奇跡は舞い降りました。
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犬って偉いなあと今になると思います。ドッグイヤーという言葉がありますが、ずっと仔犬だと思っていた我が子が、いつの間には自分を追い越して、全てを悟ったかのように、飼い主を気遣いながら死んでいくのですね。
この連載に込めた願い
さて、次回からの連載では、筆者の愛犬ピーチーの、看取りの12日間を記していこうと思います。この連載は、”我が家なりの別れの仕方” を模索した、家族の記録と言って良いでしょう。
もちろん、我が家で良かったことが、どの家でも良いことだとは思っていません。
しかし本作を読まれた方が、”我が家なりの別れの仕方” を考え始めるきっかけくらいには、なるのではないかと思っています。
いつかやってくる「その日」は、今の延長にあります。
どうか良い答えが見つかりますように。
――第4章|看取りの記録を読もう(3/29)――
この記事について
作者:高栖匡躬
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表紙:今回の表紙は、ピーチーです。
――次話――
次回からは、肺がんの闘病記です。
大病(劇症肝炎)をしてからのピーチーは、辛抱強くリハビリをして、段々と体力を取り戻していました。
そんなある日、変調に気が付きました。
体の震えと食欲不振。それは以前にもあったことです。
しかし、この時は、何故か嫌な予感がしました。
――前話――
別れが近づくと、飼い主は “その時” が近いことを肌で感じますよね。
最初はその嫌な予感を打ち消すのですが、やがて心が準備を始めます。
ペットは自分の死を通して、色々なことを教えてくれます。
看取って初めて分かることが、沢山あるのです。
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