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飼い主が流す血の涙とは - つらい涙なのに暖かい

飼い主が流す血の涙とは?

前話に続いて、”血の涙” のお話です。

日常生活では、まず使われることがないであろう ”血の涙” という言葉――
愛犬の闘病、介護の飼い主の心境を表す時には、なぜかしっくりと感じてしまいます。

その理由を考えてみたいと思います。

なぜ飼い主は ”血の涙” を流す?

愛犬の闘病で、なぜ飼い主は ”血の涙” を流すのでしょうか?

楽しかった日々と現実のギャップに慄く(おののく)から?
病気を治してあげられない悔しさ?
苦しみを取り除いてあげられない、自分のふがいなさを恥じるから?
もっとやさしくしてあげれば良かったという後悔?
病気にさせてしまったという自責?
もう目の前に迫ってきている、避けられない別れへの恐れ?

愛犬の闘病では、真剣に向き合えば向き合うほど、様々な思いがない交ぜとなって、飼い主の心に去来します。経験した方はお分かりになるでしょう。

確実に一つだけ、言えることがあります。
愛犬は誠実に、何の疑いも持たずに、飼い主のことだけを信じて、果敢に病魔に挑みます。何故ならば、それが犬という生き物の本能だからです。

それに対して、
人間の心は犬ほど強くなく、些細なことで揺れ動きます。

真っ直ぐな犬の心と、今にも折れてしまいそうな飼い主の心―― 
その両者のきしみが、飼い主に ”血の涙” という強い言葉を、想起させるのではないでしょうか。

犬とは言葉を交わせない。だから余計に飼い主に切なさがつのる。
飼い主の血の涙とは、飼い主が愛犬にそそぐ、愛情そのもののようにも思えます。
そして、そんな風に考えてみると、”血の涙” はそれほど悪いものではないようにも思えてきます。

犬を飼うということ

犬を飼うということは、最期の別れも同時に引き受けることが前提。切り離すことはできません。これから犬を飼おうかと考えている方は、一歩立ち止まって、考えてみるべきだと思います。

しかし、怖がる必要は一つもありません。

”愛犬闘病ブログ” を、どうか幾つか読んでみてください。そうすれば、すぐに分かるはずです。愛犬の闘病に直面し、血の涙を流している飼主たちだって、最初からそんなに大それた覚悟をして犬を飼い始めたわけではありません。誰もが愛犬との楽しい生活を夢見て、可愛い仔犬を家に迎えているだけなのです。

”愛犬闘病ブログ” を書いている飼主たちには例外なく、2つの特徴があります。

1つ目は、愛犬との掛けがえの無い思い出が、大きな心の財産になっているということ。そしてその財産は、愛犬の闘病中にも絶えず積みあがり続けています。

更にもう1つの特徴――
それは、飼い主たちが真正面から、愛犬の病と対峙していることです。

”血の涙” を流すのは、つらいこと。
しかし、”血の涙” を流せる飼い主は幸せな人でもあります。

もしかすると ”血の涙” は、それまで積み上げた幸せの分だけ流れるものなのかもしれませんね。

これから犬を飼う方々が皆、
いつか、幸せな血の涙を流すことができますように……

※本章ここまでは、2015年8月29日に筆者が寄稿した、次の記事を元に再構成したものです。
『病と闘う愛犬を前に、飼い主は血の涙を流す。あなたはその時、流せるでしょうか、血の涙を?』
※当記事は配信者(DeNA)のサイト閉鎖のため、現在は見ることができません。

 

――第1章|犬の闘病とは(5/9)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:ゆずさん(飼い主:まるみさん)

――次話――

それは限られた時間を刻むこと
多くの場合、犬の病気は急に発覚します。
ドッグイヤーで進む病状と、変化についていけない飼い主の心。
――これからどうなる?
見通せない未来に、時には絶望することも。
しかし、無限に続く苦しみなどないのです。
今、何をすべきなのか?

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――前話――

愛犬闘病ブログの中には、介護の当事者となった飼い主たちの葛藤や悩みが、飾らない生の言葉として綴られています。
実例として、2つのコメントを挙げてみました。
介護は、“献身”という綺麗な言葉では表せない、現実を伴うものだと思います。

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第1章の初話です
この連載の初話です
この連載の目次

 

 

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