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君が旅立つまでのこと

虹の橋ってどんなところ? - 意外に知られていない原文と、その解釈

虹の橋ってどんなところ?

死にゆく準備、死なせゆく準備(4/6)

今回は『虹の橋』の原文と、その訳詞を掲載し、そこに少しだけ解説を入れようと思います。

実は『虹の橋』は、少々間違った使い方が見受けられます。
『虹の橋』という言葉だけが独り歩きして、その元になった『虹の橋』の原詩をご存知ない方が多いのだと推測します。

さて、『虹の橋』って、どんなところ?

虹の橋とは? -原文(原詩)とその翻訳

愛犬を失った多くの飼い主の、心の支えとなったことで知られています。
しかし、実際に『虹の橋』の原詩を読まれたことがない方が多いように見受けられます。原詩を知っておかないと、大事なことを誤解してしまいがちなのです。

本話の最後に、少しだけ詩の解釈と、それに対する考察を記しています。

――下記が『虹の橋』の原文(作者不詳)――

Just this side of Heaven is a place called Rainbow Bridge.
When an animal dies that has been especially close to someone here,
that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends
so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine and
our friends are warm and comfortable.

All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor;
those who were hurt or maimed are made whole and strong again,
just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
The animals are happy and content, except for one small thing:
they each miss someone very special, someone who was left behind.

They all run and play together,
but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent; his eager body begins to quiver.
Suddenly, he breaks from the group, flying over the green grass, faster and faster.

You have been spotted, and when you and your special friend finally meet,
you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head,
and you look once more into those trusting eyes,
so long gone from your life, but never absent from your heart.

Then you cross the Rainbow Bridge together...

この詩には様々な翻訳文がありますが、下記はそのうちの1つです。

――翻訳文――

天国のほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛し合っていた動物はみな、死ぬとそこへ行くのです。
そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊びます。
食べ物も水もたっぷりあり、日が降り注ぎ、みんな暖かくて幸せです。

病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、
傷ついていたり不自由な体なっていた子も、
元の体を取り戻します。
まるで、過ぎた日の夢のように・・・

みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があります。
それは、自分にとっての特別な人が――、残してきてしまった人が
ここにいない寂しさ・・・

動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日、その中の1匹が突然立ち止まって、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝いて、からだは喜びに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、速く、飛ぶように。
その子は、あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしません。

幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する友を優しく撫でます。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込みます。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。

それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです・・・

――翻訳文・ここまで――

原文(原詩)を考察してみると

ほんの少しだけ、この詩に考察を加えましょう。

ここまで読まれた方は、多くの方が愛犬が旅立った際に用いていらっしゃる『虹の橋を渡った』という言葉は、間違った用法であることがお分かりかと思います。

飼い主を置いて旅立った愛犬は、天国の手前にある『虹の橋』と呼ばれる場所に行くのであって、橋を渡ってはいないのです。
そして、飼い主がくるのをずっと待っていた愛犬は、やっとやってきた飼い主と再会を喜んだ後に、一緒に『虹の橋』を渡って天国に行くのです。

ほんのちょっとだけの差ですが、それだけでこの詩の味わいは違うものになります。

天国の手前にある場所(虹の橋地区とでも言うべき所)と、橋の名前がどちらも『虹の橋』というので、混乱するのですね。きっと。

また、この詩には2話と3話があるようです。
しかし、それは原文を元にして、誰かが創作を加えたもののように思います。
1話と2話と3話ではテイストが全然違うので、それぞれに違う作者がいるのがすぐに分かってしまって、少々興ざめなように思います。

どうせ付け足すのならば、1話と同じテイストで書いてあれば素直に読めるのですけれどね。

この詩は2話、3話でくどくどと説明を加えず、1話だけで終わった方が断然よいと筆者は思っています。説明を省いて、心で読むのが詩というものなのだと思うのです。

でも、これは個人的な好み。
2話、3話がお好きな方もいるので、これ以上は言いません。
読み手次第で解釈が変わるのが文学ですからね。

 

――第2章|犬の死とは(4/10)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
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表紙:メイさん(飼い主:Pippiママさん)

――次話――

愛犬との別れが迫ると、飼い主はそれを実感するようになります。
今日か明日か、1か月後か――
いつかは分からないけれど、間近ということを肌で感じるのです。
大切な愛犬だから、別れ方は自分で選択したいと思いました。

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――前話――

皆さんの愛犬は、亡くなってからどこに行きますか?
虹の橋で待っている? 天国に直行? どこにも行かないで、ずっといる?
愛犬なりの去り方があって、飼い主なりの送り方がある。
それで良いのだと思います。
我が家は、天国に直行派。

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第2章の初話です
この連載の初話です
この連載の目次 

 

 

最後の我儘、行き先くらい好きにしたい - 愛犬なりの去り方。飼い主なりの送り方

君が旅立つまでのこと_扉

死にゆく準備、死なせゆく準備(3/6)

皆さん、『虹の橋』はご存知でしょうか?
ペットとの別れの際に、好んで使われる言葉です。

筆者が『虹の橋』を知ったのは、割と後になってからで、先代犬のピーチーが闘病をしているときでした。愛犬が元気な時には、縁遠い言葉だったわけです。

「良い言葉だな」と思いました。

しかしピーチーの容態が悪くなってきて、いざ自分が『虹の橋』で慰めてもらう姿が現実味を帯びてくると、「何だかこの子には似合わないなあ」と思うようになりました。
今回から4話は、この『虹の橋』のお話です。

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別れの瞬間は特別なものか? - 褪せない思いと、ぼやけていく境界

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死にゆく準備、死なせゆく準備(2/6)

愛犬の看取りというと、多くの方が「臨終の瞬間に立ち会えたかどうか」という意味で捉えられているように感じます。

もちろん飼い主ならば、立ち会えるものならば立ち会いたいという心境でしょう。
しかし ”その瞬間” をあまり意識しすぎない方が良いように思います。

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生きざまと死にざまについて - 君を思いながら、これからも生き続けよう

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死にゆく準備、死なせゆく準備(1/6)

4年前の3月に、愛犬のピーチーが旅立ちました。
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まるで全力で目の前を駆け抜けていったようで――
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”賞味期限” は――

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本話と次話では、”悩み” のお話をしたいと思います。

愛犬が闘病生活に入ると、飼い主には色々な悩みが押し寄せてきます
犬は口がきけないので、全ての決断を飼い主がしなければなりません。責任が重い分、悩みも深いものになりがちです。

悩みと言うのはやっかいで、放っておくと独り歩きをして、際限なく膨らんでしまうものです。上手く付き合っていくにはどうしたら良いか?

以下は筆者の体験談です。 続きを読む

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人間が病気をしたとき、普通は「お大事に」と声を掛けることが多いですよね。
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さて、今回はその、”愛犬の頑張って” のお話です。

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それは限られた時間を刻むこと - ドッグイヤーで時は流れていく

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”ドッグイヤー” という言葉があります。
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実際の犬の成長は、単純に人の7倍ではありませんが、それでも平均で約5倍す。
その速度で歳をとり、成犬のピークを迎えた後は衰えていきます。
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飼い主が流す血の涙とは - つらい涙なのに暖かい

飼い主が流す血の涙とは?

前話に続いて、”血の涙” のお話です。

日常生活では、まず使われることがないであろう ”血の涙” という言葉――
愛犬の闘病、介護の飼い主の心境を表す時には、なぜかしっくりと感じてしまいます。

その理由を考えてみたいと思います。

なぜ飼い主は ”血の涙” を流す?

愛犬の闘病で、なぜ飼い主は ”血の涙” を流すのでしょうか?

楽しかった日々と現実のギャップに慄く(おののく)から?
病気を治してあげられない悔しさ?
苦しみを取り除いてあげられない、自分のふがいなさを恥じるから?
もっとやさしくしてあげれば良かったという後悔?
病気にさせてしまったという自責?
もう目の前に迫ってきている、避けられない別れへの恐れ?

愛犬の闘病では、真剣に向き合えば向き合うほど、様々な思いがない交ぜとなって、飼い主の心に去来します。経験した方はお分かりになるでしょう。

確実に一つだけ、言えることがあります。
愛犬は誠実に、何の疑いも持たずに、飼い主のことだけを信じて、果敢に病魔に挑みます。何故ならば、それが犬という生き物の本能だからです。

それに対して、
人間の心は犬ほど強くなく、些細なことで揺れ動きます。

真っ直ぐな犬の心と、今にも折れてしまいそうな飼い主の心―― 
その両者のきしみが、飼い主に ”血の涙” という強い言葉を、想起させるのではないでしょうか。

犬とは言葉を交わせない。だから余計に飼い主に切なさがつのる。
飼い主の血の涙とは、飼い主が愛犬にそそぐ、愛情そのもののようにも思えます。
そして、そんな風に考えてみると、”血の涙” はそれほど悪いものではないようにも思えてきます。

犬を飼うということ

犬を飼うということは、最期の別れも同時に引き受けることが前提。切り離すことはできません。これから犬を飼おうかと考えている方は、一歩立ち止まって、考えてみるべきだと思います。

しかし、怖がる必要は一つもありません。

”愛犬闘病ブログ” を、どうか幾つか読んでみてください。そうすれば、すぐに分かるはずです。愛犬の闘病に直面し、血の涙を流している飼主たちだって、最初からそんなに大それた覚悟をして犬を飼い始めたわけではありません。誰もが愛犬との楽しい生活を夢見て、可愛い仔犬を家に迎えているだけなのです。

”愛犬闘病ブログ” を書いている飼主たちには例外なく、2つの特徴があります。

1つ目は、愛犬との掛けがえの無い思い出が、大きな心の財産になっているということ。そしてその財産は、愛犬の闘病中にも絶えず積みあがり続けています。

更にもう1つの特徴――
それは、飼い主たちが真正面から、愛犬の病と対峙していることです。

”血の涙” を流すのは、つらいこと。
しかし、”血の涙” を流せる飼い主は幸せな人でもあります。

もしかすると ”血の涙” は、それまで積み上げた幸せの分だけ流れるものなのかもしれませんね。

これから犬を飼う方々が皆、
いつか、幸せな血の涙を流すことができますように……

※本章ここまでは、2015年8月29日に筆者が寄稿した、次の記事を元に再構成したものです。
『病と闘う愛犬を前に、飼い主は血の涙を流す。あなたはその時、流せるでしょうか、血の涙を?』
※当記事は配信者(DeNA)のサイト閉鎖のため、現在は見ることができません。

 

――第1章|犬の闘病とは(5/9)つづく――

この記事について

作者:高栖匡躬
 ▶プロフィール

表紙:ゆずさん(飼い主:まるみさん)

――次話――

それは限られた時間を刻むこと
多くの場合、犬の病気は急に発覚します。
ドッグイヤーで進む病状と、変化についていけない飼い主の心。
――これからどうなる?
見通せない未来に、時には絶望することも。
しかし、無限に続く苦しみなどないのです。
今、何をすべきなのか?

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――前話――

愛犬闘病ブログの中には、介護の当事者となった飼い主たちの葛藤や悩みが、飾らない生の言葉として綴られています。
実例として、2つのコメントを挙げてみました。
介護は、“献身”という綺麗な言葉では表せない、現実を伴うものだと思います。

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第1章の初話です
この連載の初話です
この連載の目次

 

 

闘病に感じる不安と悩み - 飼い主たちの心の声

闘病に感じる不安や悩み

愛犬が病気になった時――、それも重い病気であったとき――
我々不安な飼い主は少しでも病気のことが知りたくて、ネットで検索を始めます。

最近では分かりやすく書かれた病気の記事は、なかなか上位に表示されず、専門家が書いた専門家向けの記事や、論文、その対極で通り一辺倒のことしか書かれていない、病気辞典のようなものばかり。

色々なワードで試した末に、『病名 闘病記』の2ワード検索でやっと行きつくのが、”愛犬闘病ブログ” です。

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あなたは一人ぼっちなのか? - 闘病で多くの飼い主が覚える孤独感

あなたは一人ぼっちなのか?

愛犬の闘病――

経験をなさった飼い主さんならば分かると思いますが、命を預かるという行為は孤独なものです。周囲に家族がいても、相談相手がいたとしても、心のどこかにかにどうしようもなく孤独感が漂うのです。

なぜそのように感じてしまうのでしょうか?
そして、本当に孤独なのでしょうか?

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最期の闘病期間とは? - 無限の介護など無いと知ること

最期の闘病期間とは

愛犬が重い病気に罹ったとき、診断結果を聞く飼い主の心境は、”絶望”という言葉が一番ふさわしいかもしれません。

筆者にも経験がありますが、最初は動顛した中での正体のない絶望感。しかし闘病が始まると、それが具体的な絶望に変わっていきます。その具体的な絶望の内の一つが、先の見えない闘病期間に対する恐れです。

今回はこの闘病期間について考えてみます。

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私たちの周りにいる犬たち - 犬の飼育密度を推計してみよう

私たちの周りには

ペットブームと言われて久しいのですが、現在どれくらいの犬や猫が、我々の周りで飼われているのか実感が出来ますか? 漠然と多いと思っていながらも、実際の数字で年間の登録数や、累計の登録件数を把握している方は、そう多くはないのではないでしょうか?

本話から3記事に渡って、統計データの数字を元に、ペット闘病を考えてみたいと思います。きっとこれまで意識していなかったものが、見えてくると思いますよ。

まずは飼育密度の推計から――

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飼主たちの共感の時間 - 君が旅立つまでのこと の構成

飼主たちの共感の時間

まずは本作、 MATANE『君が旅立つまでのこと』の全体の構成からご説明します。

本作がテーマとしているのは、飼い主たちの共感の時間 です。

犬を飼うという行為は、犬を飼おうかどうか悩むところから始まって、最後に愛犬を看取るまでの間続きます。その平均は14年~15年ほどだそうです。

自分で犬を飼ってみて思うのは、犬の一生の全ての時期が、必ずしも他の飼い主さんたちと共感し合えるものではないということです。

正直に言うと、朝や夕方の散歩ですれ違うよその家の犬たちは、うちの子ほどは可愛く思えません。もちろん可愛くないと言っている訳ではありません。どの子も可愛いのですが、とりわけうちの子が可愛いのです。

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